大判例

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大阪高等裁判所 昭和38年(う)1972号 判決 1968年7月25日

主文

被告人佐藤仲利に対する本件控訴を棄却する。

原判決中、被告人酒井猛に関する無罪部分、被告人夫徳秀、同金哲珪、同洪鐘安に関する騒擾、威力業務妨害の点についての無罪部分、右被告人四名および被告人佐藤仲利を除くその余の被告人四二名に関する部分をそれぞれ破棄する。

被告人三帰省吾、同夫徳秀を各懲役六月に、

被告人韓東燮を懲役一〇月および罰金三、〇〇〇円に、

被告人任鉄根を懲役八月および罰金三、〇〇〇円に、

被告人白光玉を懲役六月および罰金三、〇〇〇円に、

被告人金好允、同夫子浩、同呉泰順および同木沢恒夫を各懲役四月および罰金三、〇〇〇円に、

被告人康文圭、同李樹寛および同金熙玉を各懲役三月および罰金三、〇〇〇円に、

被告人高元乗を懲役二月および罰金三、〇〇〇円に、

被告人出上桃隆を罰金八、〇〇〇円に、

その余の被告人三二名を各罰金三、〇〇〇円に、

それぞれ処する。

原審における未決勾留日数中、被告人三帰省吾、同夫徳秀に対しそれぞれ右本刑に満つるまでこれを算入し、被告人韓東燮に対し一七七日、同任鉄根に対し四六日、同白光玉に対し五九日、同金好允に対し三八日、同夫子浩に対し二六日、同呉泰順に対し二三日、同木沢恒夫に対し七七日、同康文圭に対し五四日、同李樹寛に対し三八日、同金熙玉に対し二三日、同高元乗に対し二八日をそれぞれ右各懲役刑に算入する。

右各罰金を完納することができないときは、いずれも金五〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。

被告人韓東燮、同夫子浩および同呉泰順に対し本裁判確定の日からいずれも二年間、被告人白光玉、同金好允、同木沢恒夫、同康文圭、同李樹寛、同金熙玉および同高元乗に対し同じくいずれも一年間、右各懲役刑および罰金刑の執行を、右被告人一〇名ならびに被告人三帰省吾、同夫徳秀、同任鉄根および同出上桃隆を除くその余の被告人三二名に対し同じく一年間右罰金刑の執行を、それぞれ猶予する。

理由(要旨)

第一章検察官の控訴趣意第一点(憲法の解釈の誤りの論旨)について

論旨は、要するに、原判決の全趣旨によると同判決は集団行動が示威運動の形態をとる限り、それは憲法の保障する表現の自由に属するものであるとし、集団行動による表現の自由を無制限のごとく解しているけれども、表現の自由といえども絶対無制限のものではなく、常に公共の福祉に反しないことを要するのであつて、本件集団のように吹田操車場へ侵入する意図をもつて武装し、数々の暴行脅迫を敢行することは、憲法の保障する表現の自由の限界を逸脱するものであるから、本件の集団行進が示威行進なるが故に憲法上保障された表現の自由に属するとの原判決の見解は、憲法二一条、一二条、一三条の解釈を誤つたものであるというのである。

よつて案ずるに、憲法二一条の保障する表現の自由といえども絶局無制限のものではなく、公共の福祉に反することは許されないとすることについては、すでに最高裁判所の判例の存するところであるけれども、原判決の全体から考察するときは、同判決が所論のように集団行動が示威行進の形態をとる限りすべて憲法上の保障を受けられるべきものと解釈しているものであるとは認められない。論旨は理由がない。

第二章同控訴趣意第二点(法令の解釈適用の誤りの論旨)について

第一騒擾罪に関する法令の解釈適用

論旨は、要するに、本件は原判決の認定した事実自体によつても優に騒擾罪の成立に必要な共同意思を認めうるのにかかわらず、原判決は平騒擾事件に関する最高裁判所昭和三五年一二月八日判決の見解と矛盾する不当に限定的な態度をとり、あえて共同意思を否定したもので、帰するところ騒擾罪に関する法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。

しかし原判決は所論の最高裁判所の共同意思に関する判示と矛盾する態度をとるものではなく、右判例の見解を当然の前提としているものと認められ、原判決の共同意思の解釈自体に誤りがあるとはいえない。

そして原判決が証拠によつて認定しているのは個々の集団員の暴行脅迫であり、かつ、これが多衆の共同意思に出たものであるとは証拠上認定できないとしているのであるから、所論が原判決の認定した事実自体によつて共同意思の存在を認めることができるというのは当らないのであつて、もしそれが原判決認定の暴行脅迫の規模態様その他の事実自体から共同意思に出たものと認定すべきであるというのであれば、その所論は原判決の事実誤認を主張するに帰する。

所論の多くの主張は、結局事実誤認の主張ないしは原判決認定の事実と異る事実を前提とするものであるので、これらについては事実誤認の論旨に対する判断のところで検討する。

一ないし三<省略>

四騒擾加担の意思

所論は、原判決の各判示によると、同判決はいわゆる加担の意思は、単に暴行等に同意を表わし、あるいはこれを認容して集団と行動を共にする意思をもつて足れりとせず、当該暴行等の所為を積極的に支援し、ないしはこれに同調するなど特段の言動に出るのでなければいまだ合同力に加わりあえて騒擾行為に加担する意思があつたものとはいえないと解釈しているものと推測されるが、この解釈は誤りであるというのである。

しかし原判決全体をみると同判決が加担意思について所論のような解釈をしているとは認められない。元来、騒擾行為に加担する意思とは、多衆の合同力をたのんでする暴行脅迫の行為に同意を表し、その合同力に加わる意思、換言すれば、群集の中の自らは暴行脅迫に出ない多衆が、自分たちも群集の力のもとに暴行脅迫をしているのであるという意識を有することをいうのであつて、集団の大多数の者がこのような意思ないし意識を有していると認められるときに、そこで行なわれている暴行脅迫が集団の共同意思に出たもの、すなわち集団そのものの暴行といい得るのである。原判決もこの見解のもとに、集団員の一部の者の暴行脅迫が行なわれた場合にそれが集団の共同意思に出た集団そのものの暴行脅迫と認められるかどうかを検討するに当つて、本件証拠からは右の加担意思に出たと認めうべき者が集団の一部にすぎず、大多数の者についてはこれを認め得ないから、集団そのものの暴行脅迫であることを肯認しえないことを判示した趣旨であることが明らかであり、所論が推測するように、積極的に支援または同調するなどの特段の言動に出るのでなければ加担意思があつたとはいえないとの見解をとっているものではない。

五<省略>

六騒擾罪にいう暴行脅迫の概念

所論は要するに、原判決が集団の神社前における警備線突破時の集団行動や、吹田操車場内における集団行動を、騒擾罪の暴行ないし脅迫に該当しないとしたことは、右暴行脅迫の概念を不当に狭く解釈した結果であるというのである。

よつて案ずるに、騒擾罪にいう暴行は広義のものであつて物に対する有形力の行使をも含むものであり、最高裁判所判決が前記平騒擾事件に関し、建物の不法占拠または不法侵入を騒擾罪における暴行に当るとしていることは所論のとおりであるけれども、鉄道敷地への立入りが直ちに騒擾罪にいう暴行に当るとまでは解することができない。また同罪にいう脅迫も広義のものであつて、他の罪名に触れない程度のもので足りるのであるけれども、それは大審院大正三年二月二四日判決も明言するように、人に対する脅迫行為であることを要するのである。従つて集団が鉄道敷地内に入ればそれだけで騒擾罪にいう脅迫にあたると解することはできない。

右のとおりであるから、右操車場構内における本件集団の行動が騒擾罪にいう暴行脅迫にあたるかどうかは、具体的事案の内容によつて決すべき事実認定の問題であり、神社前における集団の行動についても全く同様である。原判決も右の見解のもとに、集団の各行動を具体的に認定してそれが騒擾罪にいう暴行脅迫と認められるかどうかを判断しているだけであつて、ことさら右暴行脅迫の概念を狭く解釈しているとは考えられない。

第二威力業務妨害罪に関する法令の解釈適用

論旨は、原判決が本件集団の吹田操車場内における行動をもつて不当な勢威一般にあたらないとしているのは、その行動を憲法の保障する表現の自由に属する示威行進と誤解したうえ、威力業務妨害罪の構成要件である「威力」そのものについてもこれを不当に狭く解釈した違法に基づくものであるというのである。

しかしながら、原判決はその「第四章威力業務妨害罪の成否」において、その冒頭に同罪にいう「威力とは、業務遂行の意思とその実行を制圧するに足る不当な勢威一般を指称するものと解すべきである」と判示しているのであつて、所論のごとく威力の概念を不当に解釈しているわけではない。そして原判決は本件集団の吹田操車場構内における行動が威力業務妨害罪における不当な勢威一般に当るものとはいいがたいとし、結局同罪はその証明なきに帰すると判示しているところからも明らかなように、いわゆる威力に当ることの証明がないというのが同判決の趣旨であると解せられる。原判決の判文中に「吹田操車場構内における本件集団行動の実態は、朝鮮戦争に反対し吹田操車場の軍需輸送に対する抗議のための集団示威行進であると認むべきである」とか「軍需列車の襲撃ないし破壊の企図のあつた場合は別であるが、その証明のない本件のような表現の自由に属する示威行進云々」と述べているのは、いかにも唐突な感があるが、それがすぐ前の事実関係の認定判示を前提としていることからみて、威力業務妨害罪にいわゆる威力を用いたことの証明がないことの説明のための行文にすぎないものと解すべく、本件集団行動が憲法二一条によつて保障されている表現の自由に属する権利の行使として犯罪を構成しないあるいは違法でないとしたものであるとは解されない。

なるほど原判決は集団のいわゆる武装状況、操車場内における作業の状況などの集団の勢威、四囲の状況等について判示するところがなく、所論はこれらを含めて判断すると威力を用いことに当るというのであるが、右所論は判断の前提として認定すべき前記諸事実を看過したために威力を用いたと認めなかつたとの事実誤認の主張に帰するのである。

以上のとおりであるから、原判決に所論のような法令の解釈適用に関する誤りがあるとは認められない。論旨いずれも理由がない。

第三章同控訴趣意第三点(訴訟手続上の法令違反の論旨)について

論旨は、原審における昭和三六年七月四日付証拠決定(その二)のうちの却下部分(後出総説第一、第五および各説の所論)、同日付証拠決定(その一)のうちの却下部分(同総節第二の所論)、判決書、起訴状の各謄本および国会議事録の却下決定(同総説第三の所論)、ならびに、昭和三五年八月二四日付証拠却下決定(同総説第四の所論)の違法を主張し、右却下にかかる証拠はすべて採用されるべきものであるというのである。以下所論に従い検討する。

第一節総説

第一昭和三六年七月四日付証拠決定(その二)

論旨は、要するに、原決定が検察官の取調請求にかかる検事調書(法三二一条一項二号、三二二条)等を却下したのは違法であるといい、原決定の違法なるゆえんについて総括的にその見解を開陳している(ただし任意性、相異相反性および特信情況の点については後出第五で総括的見解を述べたうえ、第一第五で主張した見解のもとに第二節各節において各検事調書ごとに具体的に原決定の違法を主張する)。そこで所論に対する当裁判所の見解を示すこととする。

一証拠決定の基準

所論に対する判断に先きだち、証拠決定の基準について一言するに、証拠調請求の手続が適法であり、その証拠が証拠能力を有するときは原則としてこれを取り調べるべきものであるが、必要性のない証拠はこれを却下することができる。必要性のない証拠とは(イ)関連性のない証拠、(ロ)重複証拠、(ハ)重要でない証拠などをいい、これらはいずれも訴訟の遅延を招き争点を混乱させる以外になんら役に立たないものと認められるから、裁判所の合理的裁量によつて却下することができると解せられる。関連性がないといえない場合でも、主要事実に関連性の薄い傍系事実であつて、その立証が争点の混乱を招き審理の迅速を阻害するようなときは、却下することができると解すべきであり、右(ハ)の重要でない証拠とは主にかかる証拠をいうのである。

原決定が「関連性の薄いもの」「合意書にある事項」「証人としての立証趣旨にないいわゆる総論部分」などをABまたはBとして却下しているのは、要するに必要性がないことを類型化して示しているものと解せられるから、右のような観点から検討する。

次に法三二一条一項二号の要件としてのいわゆる「相異相反性」があるといいうるためには、単なる「異つた供述」よりも異る程度が強いものであることを要するのであつて、「相反する供述」とは立証事項からみると前の供述と反対の結果を導くような供述をいい、また「実質的に異つた供述」とは重要な部分に異る点があつて供述全体の趣旨が異る認定に導くおそれのある供述をいうものと解すべきである。従つて部分的には異つていても全体的には同じ趣旨であるとか、異る部分が立証事項の本筋から離れているとかいうような場合は、「実質的に異つた供述」に該当しない。検察官の各説の所論のなかには、その立証事項からみてさほど重要でない、あるいは供述全体の趣旨としては変りがないと認められる些細な点を、それが文理的意味において異るというだけで相異相反性ありというものがかなりある。

二公訴事実、冒頭陳述と関連性が薄いものを却下した点

原決定は公訴事実、冒頭陳述書の記載と関連性の薄いもの(例えば騒擾の始期に至るまでの経緯等で比較的重要と認められない事項)はABまたはBとして却下し、このうちには所論の一部グループの事前活動に関する事項も含まれているけれども、原決定は右経緯等では比較的重要と認められない事項を却下するといつており、現にその全部を却下しているものではない。従つて原決定の基本的見解に誤りはなく、ただなにが重要でない事項といえるかが問題となるのである。

本件起訴状および冒頭陳述書によると、待兼山参集者の多数は三帰、夫徳秀二名の演説によつて吹田操車場の襲撃を企図したというのであつて、それ以前の計画・謀議についてはなんら主張されていない。そして原審公判での検察官の釈明では本件騒擾の始期は須佐之男命神社前からであるとされている。また、証拠により証明すべき事実は、第一、待兼山の集会の状況および集団が同所を出発して神社前にいたるまでの行動経過(第二以下省略)となつていて、待兼山集会よりも前のことは立証事項とされていない。右のほか原審における審理の経過その他記録によつて認められる諸般の事情からすると、本件集団の各グループあるいはその一員が待兼山に参集するまでのいきさつを明らかにするという理由で、これら一部の者の事前の計画・準備活動を一つの独立のテーマとするがごとくに、それ自体をこと細く立証する必要性と相当性に乏しく、それが訴訟の適正な進行を害する場合には、むしろ制限されてもやむを得ない場合があり、ただそれが騒擾の始期以後における集団ないし集団員の行動、およびこれに関する集団員の認識等の事実を通じて共同意思の存否の認定に関連を有する限度内では、待兼山から神社前までの経緯に次いでさらにそれ以前のことも関連性があるものとして許容されるけれども、この場合でも、共同意思に関連の薄い、しかもさほど重要でない一部の者のささいな点まですべて許容されるわけではない。

三<省略>

四検察官の尋問がなくまたは不十分という理由で却下した点

検察官の尋問は必ずしも供述調書の全部についてなす要はなく、犯罪事実の重要な事項について尋問すれば足りるとの所論は、尋問技術としてはそのとおりであるが、尋問していない従つて公判廷の供述に現われていない事項については、前の供述と相反するとも実質的に異るともいえないのであつて、尋問の有無は結局は相異相反性の有無の問題に帰するのである。原決定が相異相反性と無関係にABまたはBとして却下したとは認められない。

五感想に類する供述記載または証言を却下した点

感想に類する供述であつても法一五六条一項のいわゆる推測事項に該当するときは二号書面としても証拠となしうると解せられる。しかし単なる想像、意見はこれに当らず、実験した具体的事実から合理的には推測した供述であることを要する。原決定のように感想に類する供述であるというだけで二号書面としては重要視できないとはいえない。

六起訴後における被告人の取調

原決定が起訴後当該公訴事実について被告人を取り調べることは、それだけで直ちに違法であるとする限度において、最高裁判所昭和三六年一一月二一日決定に牴触するものというほかはない。しかしまた右判例を理由に起訴後の被告人を被疑者のときと全く同様に取り調べることができると解することもできない。すでに起訴された被告人は訴訟の当事者たる地位を有するのであるから、検察官が相手方当事者に対して取調に応ずることを強制することは、刑訴法の当事者主義的訴訟構造に合致しないだけでなく、最も直接に被告人の防禦権を侵害するものであつて、裁判の公正を害するおそれがあるといわなければならない。従つて検察官は、起訴後において被告人が勾留されているからといつて、当該公訴事実を取り調べるためにその被告人を取調室へ出頭することを強制できないし、いつたん取調室へ来ても退去しようとしたときは、これを阻止することはできないのであつて、ただ任意の取調をなしうるに止まる。ここに任意の取調とは被告人が任意に取調に応じたこと、すなわち、被告人が自ら供述する旨を申し出て取調を求めたか、あるいは取調のための呼出に対し、捜査官の取調を拒否できることを十分に知つたうえで、これを拒否せず出頭し取調に応じたことが必要である。右判例の事案では被告人が検察官あてに召喚願を提出し自ら供述したいと申し出ているのであるから、この申出に応じて検察官が被告人の供述を聴取しこれを録取することは、前示の任意の取調の範囲を出るものでないと考えられるのである。

要するに、起訴後被告人を当該公訴事実について取り調べることは、被告人の当事者たるの地位にかんがみ最少必要限度に止めるべきであり、取調の必要があるときでも出頭および在室を強制できず、もつぱら前示の意味における任意の取調の限度に止むべきであつて、これに反する被告人の取調は違法なものといわざるを得ない。そして被告人の取調が違法とされた以上は、これによつて作成された供述調書は単に刑訴法上違法であるというに止まらず、憲法三一条の法の適正な手続の原則に違背するものであるから、証拠とはなし得ないものと解すべきである。

次に、起訴後の被告人を取り調べて作成した供述調書は、それが形式的には他の共同被告人または共同被疑者に関する供述を録取したものであつても、その実質において被告人の当該公訴事実に関する供述であると認められるときは、右被告人の取調が適法である場合に限り、刑訴法三二一条一項の二号書面となりうるものと解すべく、被告人の取調として違法な場合は、前示のように適正手続に違反するものであるから、その供述調書は他の被告人に対する関係においても証拠となり得ないものと解するのが相当である。

七観護措置期間中の少年の取調

検察官が家庭裁判所に送致した少年の事件については、少年はすでに捜査過程を離れ(少年法四一条、四二条)、保護手続によつて取り扱われているのであるから、右送致にかかる事件の捜査のために少年を取り調べることは排除されなければならない。そして他人の行動に関する取調であつても、実質においてその少年の事件に関する取調を含む場合には、起訴後の被告人の取調の場合と同様、その少年の取調は許されない。

右の少年の取調が違法である場合は、起訴後の被告人の場合と事情が全く同じではないにしても、かかる取調が裁判の公正を害するおそれがあり、適正手続の原則に違反するものであることに変りはないから、その供述調書は証拠とすることができず、このことは当該少年に対してのみならず、他の共同被告人に対しても同様であると解しなければならない。

第二昭和三六年七月四日付証拠決定(その一)

論旨は、検事調書の任意性および特信情況の立証と右調書の供述者の原審における証言の証明力を争うために取調を求めた警察調書について、原裁判所がこれを取り調べるのは相当でなくまた必要でないとして却下したのは違法であるというのであるが、本件で検察官が取調を求めた警察調書それ自体が、その供述者から右調書の供述記載は強制・暴行等によるもので任意性がないと争われているものであり、検察官の所論の供述記載部分は多かれ少なかれ犯罪事実に関するものであつて、しかも弁護人側はその警察調書は弁護側に閲覧させていないものであるというのにかかわらず、検察官もあえてこれを否定していない。警察調書の任意性に問題がある場合には、これをもつて直ちに検事調書の任意性の立証とすることのできない場合がある。その他原審における審理の状況、記録に現われた諸般の事情を勘案すると、右警察調書を却下したことが、原裁判所の合理的裁量の範囲を逸脱した違法なものであるとまでは認められない。

第三判決書、起訴状の各謄本および国会議事録の却下決定

所論の本件当時の社会情勢や警察の警備・検挙の必要性相当性の点においては、原審においてすでに証人大南権治郎ら三名が右立証趣旨のもとに取調がなされており、右事項については他の検察官申請の多数の証人に対する尋問過程においても随時尋問がなされているから、右証拠のほかにさらに他事件の判決書その他を取り調べる必要性がさほど大きいとは考えられず、原決定がこれらを却下したことが、著るしく失当であるとも審理不尽であるとも認められない。

第四昭和三五年八月二四日付証拠決定

論旨は、補充立証として警察官ら三二名の証人およびメモ等一四点の証拠物の取調請求を必要でもなく相当でもないとして却下した原決定は違法であるというのである。

しかし、検察官が補充立証を要するという騒擾各現場における集団の暴行脅迫の状況、静謐阻害の状況については、検察官は本件審理の当初から最も重点を置いて多数の証拠の取調請求をしており、検察官としてはその立証事項の重要性にかんがみ、最良証拠のすべてをもつて立証にかかつたはずである。そしてその審理の過程で検察官の意図した立証の効果が十分に実現したかどうかは別として、かりに検察官からみて不満足な結果に終つたとしても、これに代えるに当初取調請求をしなかつた証拠のうちから、前述の最良証拠と考えた証拠をもつてしても十分立証できなかつた事項を立証するに足るものを発見することは、通常は相当な困難であるといわざるを得ないであろう。当裁判所は原審記録を精査し原審における訴訟の経過をつぶさに検討したところ、警察官、鉄道公安官および現場付近の住民、ならびに、分離した共同被告人らを証人として尋問した内容は、公訴事実との関連において尋問におよんでいない事項を発見することはほとんど困難であつて、その後はこれら証人の証言の信憑力の判断と具体的事実に対する法的評価が残されている段階とみてほぼ誤りはないと考えられる。ところが検察官の補充立証としての証人三二名の立証趣旨をみると、きわめて抽象的にしかも各場面の全部にわたつてもれなく立証しようとするもので、次善の証拠によつてもう一度第二回目の全般的立証をしようとするもののごとくであり、従前の立証不足の点を特定し補充的証人のいずれをもつて、どのような立証ができるかの具体的な説明は全くなされていない。

そして一方本件については最初の起訴から右補充証拠の取調請求がなされるまでには、すでに約八年間にわたり、右補充立証と同じ趣旨のもとに審理が続けられてきているのである。以上のような所論の補充立証なるものの性格・内容を検討しその他諸般の諸事情をも考慮して考えると、原決定がこれらの取調請求を却下したことが合理的裁量の範囲を逸脱したものとまではいうことができない。

なお、当審において、検察官は事実誤認の控訴理由との関連において、その具体的立証趣旨を明らかにしたうえ右却下証人の取調を求めたので、原判決の事実認定の当否の審査のためそのうち八名の証人を取り調べたが、右証人らの取調の結果に照らしてみても、原決定のその当時の判断に、原判決に影響を及ぼすほどの違法があつたとは認められないのである。

次に、証拠物は本件集団行動の前後におけるメモ・報告およびその差押調書等であるが、右差押調書以外は作成者が明らかでなく、いかなる者がいかなる意図で配布したのかも明らかではないから、これらの文書を集団の一員が本件発生より数日ないし数十日後の逮捕時にたまたま所持していたというだけで、これを直接いわゆる総論関係の証拠として、集団行動の性格・計画性を立証することは、原審における審理の経過に照らすと、原決定もいうように必要性相当性がないものと考えられる。

第五任意性、特信情況等の判断

所論は、要するに、前示第一の検事調書等の却下決定における任意性、特信性および相異相反性の判断は著るしく経験則に反し、不統一、不合理きわまるものであり、刑訴法三一九条、三二一条一項二号、三二二条の解釈適用を誤つた違法があるというのである。そこでここではその所論につき当裁判所の見解の大要を示しておく。

一任意性の判断

(一) <省略>

(二) 警察官の取調状況

(1)手錠の施用、暴行・正座の強要

所論は一部被告人が手錠を施されたまま取り調べられた事実が若干存することを認めつつ、それは逮捕当初に限られ、被告人が暴れたりしたことと身柄確保のため戒護の必要上施錠したのであるから任意性否定の理由にならないというけれども、手錠を施用しての取調においては任意の供述は期待できないと推定されるのであつて、所論のような理由だけで直ちに右推定がくつがえされるとまではいえない。

次に所論は一部被告人らが取調時に暴行されたというのはすべて誇張ないし捏造であるというが、にわかにそのように断じえない。

また、記録によると正座して取調を受けた被告人があり、それが全く被告人らの自由意思によるものであるかどうかについては疑問のあるものも存するが、正座の強要は一種の肉体的苦痛を強いる手段として供述の任意性を疑わしめる資料となりうる。

(2)脅迫ないし甘言

所論は捜査官には強制送還の権限がないからこれを口実に自白を迫つたとは考えられないというが、法律知識にうとい者に対してはその権限があるように思わせることはありうるし、たとえ自らに権限がなくてもそうなるように捜査の面で不利益な取扱いをすることを告げる意味で「いわなければ強制送還する」ということは考えられないではないから、この点は理屈の問題ではなく、個々の事案で検調官がどのようにいい、被疑者がこれをどう受け取つたかを検討する要がある。

次に、所論は早くいえば釈放してやるといわれたという被告人らの主張は、一、二の警察官が黙秘権を行使すれば捜査が長くなり勾留が長びく旨を告げたことを誇張歪曲してそう主張しているというのであるが、かりに所論のような「黙秘すれば捜査が長くなり勾留が長びく」といつた場合でも、その時の状況とこれを告げる口調によつては「長く勾留されたくなかつたら自白せよ」「自白したら早く帰してやる」という意味になることがある。のみならず捜査官がこのような言葉を用いること自体に早く自白を得たいという心理が働いていることは見逃がせない。結局、用いた言葉とその際の状況を検討して強制ないしは不当な約束の有無を具体的に判定しなければならない。

(3)長時間の取調その他

長時間あるいは深夜の取調、食事の不給与などが被疑者に与えた心理的圧迫の強度いかんによつては供述の任意性にも影響があり、パンなどの飲食物や煙草などを与えることがそれだけで自白の強要であるとはいえないが、空腹はもちろん、喫煙者にとつて長時間の禁煙がかなりの苦痛であることも明らかであるから、この苦痛からの解放への誘惑が不任意の供述と結び付きやすいことは争えない。取調の状況とこれらを与えた事情によつては任意性を疑わせる事情となりうる。糧食の差入禁止の有無は個別的に検討さるべきであるが、かかる事実が存するときは、一般には法を犯してまで糧食の差入を禁止するがごときはなんらかの害意があるのではないかとの疑を免れることはできない。

(4)強制的な供述の押付け

被疑者の取調に当つて、他の資料がある場合に合理的な限界をこえないときは、右資料に基づいて質問することが許されるというのが広く承認されている見解であると思われるが、抽象的にこのようにいい得るにしても実際の取調状況は一様ではない。黙秘している被疑者に対し黙秘の意思を打ち破るような積極的な心理的圧迫を加える押付けはもちろん、たとえ記憶を喚起しまたは矛盾をただすという形をとるにしても、捜査官の発言の意図および態度と、それを被疑者がどう受けとつたかという事情次第によつては、その取調方法が被疑者の自白を誘引する大きな要素となりうる場合がある。所論引用の最高裁昭和二三年七月一日判決はどれほどひどく叱つても、どれほど強く追及しても自白を強制したことにならないといつているのではない。

(5)<省略>

(三) 検察官の取調状況

所論は、被告人らは検察官の取調に対しては供述の強制があつたことを具体的に主張せず、主として誘導、理詰め、押付けによつて警察の調書を丸写ししたとか、検察官の主観で作文したとか弁解するに止まり、これらは、ひつきよう検事調書の内容の信憑性を争うに帰着するというのであるが、必ずしもそのようにいうことはできない。

(1)検察官の誘導尋問

取調時の誘導尋問の故に直ちに供述の任意性を欠くといえないことは一応所論のとおりであるにしても、被疑者の自由な意思に基づく供述を求めるためには原則として誘導尋問は相当でないと考えられ、誘導尋問の方法・程度いかんによつては、もしくはこれと他の事情とが結びつくときは任意性にも影響する場合がないとはいえず、またいわゆる特信情況の否定的資料となる場合もある。

(2)供述の矛盾追及、理詰の尋問

検察官の理屈攻め・矛盾の追及が強制に当るか否かは具体的事実によつて各場合に判断せらるべきである。理詰の尋問が追及的に行なわれるときは、詭弁にひとしい形式論理の遊戯に堕し、真実の発見を誤る危険がある。所論は被疑者がことさらに事実を秘匿しあるいは矛盾する供述をした場合に、検察官が他の証拠を示すなどしてこれを糾すことは、その方法が強制にわたらない限り当然許されるというけれども、被疑者は嘘をいう権利はないが黙秘する自由を有しこのいわゆる黙秘権を侵害することは許されない。「他の証拠を示して糾す」にしてもいろいろの方法と糾し方の強弱がありうる。理詰の追及は取調方法として原則的には相当な尋問方法ではなく、また供述の矛盾をただすために他の証拠を示すについても合理的な限度があるのであつて、かかる取調方法にはそれぞれに固有の各種の危険があるのみならず、その具体的事情によつて黙秘権の侵害、自白の強要にいたる場合がある。

(3)<省略>

(4)警察官の取調における強制と検事調書の任意性

所論はたとえ警察における取調に強制があつたとしても、検察官自体の取調方法に強制がなければ、その検事調書の任意性に影響がないと主張して最高裁判所昭和三二年七月一九日判決等を援用するけれども、各場合の事情如何によつては当初の強制の影響力が存続することは同じ最高裁判所昭和二七年三月七日判決が明言しているところである。要は検察官の取調時に警察での強制の影響力が存続していたかどうかによつて検事調書の任意性を決すべきであつて、この影響力を無視または形式視して検察官の取調は警察官のそれと別個のものというだけで、検事調書の任意性を当然に認めることはできない。従つて同一警察署の留置場に拘束されている間に、警察官の強制を伴う取調を受けた翌日に同じ警察署で検察官の取調を受け、その検事調書の内容が警察調書の内容の反覆にすぎないようなときは、おそらく警察での強制の影響力は否定できないであろうし、さらに検察官の取調に警察調書の録取者が立会つていたというようなときには右影響力はなお大きいといわざるを得ない。所論は検察官が拘置所や検察庁において取り調べるときは警察との関連は完全に遮断されていると強調するが、取調場所が異るというのは、考慮すべき幾多の事情のうちの一つの物理的遮断にすぎないのであつて、それだけで心理的影響の遮断を認めることはできない。

(四) 検事調書の任意性調査と同調書の記載内容

所論は、供述調書に本人の署名押印がある以上その任意性は推定され、被告人がこれを争うには具体的な主張立証を要するというのであるが、署名押印は元来記載内容が自己の供述内容と一致することの確認のためのものと解せられるから、署名押印の存在をもつて直ちに供述の任意性を推定する効力を有しこれを争うには反対の立証を要するとまではいうことができない。

また任意性の立証については、原審で多数の取調検察官および警察官が証人として尋問され、当時の取調状況について証言しており、被告人らを共同被告人に対する証人として尋問した際に、その公判廷での供述が検事調書の記載内容と異るときは、その内容を示して尋問しているのであるから、これらによつて任意性存否に関する重要・根本的な立証方法が提出されているのであつて、原審がそれ以上に特に調書の形式・内容を閲覧する必要がないと考えてこれを閲覧しなかつたからといつて、不当違法の措置であるとはいえない。

さらに所論は、原決定は否認調書や合意書面にあるものまで一括して任意性なしとし、また同様の弁解をしているのにある者の調書は採用し、他の者の調書を却下するなど不合理な結論を示しているのは調書の内容を検討しなかつたためであるというけれども、否認調書は原則として法三二二条の要件を欠き、他の被告人に対する証拠としても原則として無意味であるから結局は却下を免れないのみならず、検察官が法三二二条の書面としての請求にあたつてその内容を明らかにせず、数通の調書全部が合体して自認調書となつていると了解できる形で請求したため、その全部が任意性なしとして却下されたような場合に、当審において、その一部が否認調書であつたとの理由で当然に却下決定を争うことができるものではない。また検事調書の一部に合意書と同じ内容の記載がある場合であつても、その検事調書作成の際に強制等があれば右調書そのものは証拠となし得ない。

また、たとえ同じような弁解をしていても、供述の任意性は各被告人ごとにその取調状況を検討して判断するものであるから、ある者について任意性が肯定され、他の者についてこれが否定されることがあつてもなんら不合理ではなく、同じ弁解理由であるのに採否が異るのは不統一不合理であるというのは当らない。

二特信情況、相異相反性の判断

まず所論は本件事犯の特殊性を強調し、被告人らは一体となつて法廷闘争をしているから、被告人らが法廷で真実を述べるはずがなく、一般に検事調書の方に信用性があるというのであるが、しかし右のような事情は公安労働、選挙、贈収賄などの事件でも見られる現象であり、この種事件であるという抽象的な理由で個々の検討をしないで一般的に特信情況を認めるわけにはいかない。本件の特信情況の判断においても、その一般的原理に従つてこれをなすべく、その際右のような事情ももちろん考慮されるべきものではあるけれども、事件が重大であるからとか、公判闘争をしている事案であるからという理由で特信情況の要件をルーズに考え、安易な証拠決定をすることは法の根本精神に反するものといわなければならない。

次に所論は、原決定が検事調書の事項ごとに公判証言と対比し右事項ごとに相異相反性、特信情況の判断をしているのは誤りであり、一個の調書全体につきその証拠能力の有無を決すべきであるというのである。刑訴法三二一条は「供述を録取した書面」といつているが正確には「書面の供述記載」である。そして公判廷における証言では一定の供述が現われているのであるから、これと同じ内容の検事調書の供述記載部分については二号書面の要件を欠き証拠となしえず、またその必要もない。ただ相異相反性のあるときはその供述記載部分に限り証拠となしうる。従つて一通の調書の一部分に公判証言と相異相反するところがあるからといつて、調書の供述記載の全部が証拠能力を取得するものではない。結局、人の思想の表現としての供述が可分の限度で相異相反する事項を特定し、その事項ごとに前の供述の特信情況の存否を検討し、これが認められる供述記載部分のみが証拠となりうるものであると解すべきである。

さらに所論は、相異相反性、特信情況の判断については、任意性の判断にもまして当該検事調書の内容の検討を要するというのであるが、右の相異相反性や特信情況の存否は証人尋問が正しく行なわれていさえすれば、必ずしも調書の内容を検討しなければ判明しないというものではない。まして本件では検察官は右調書の取調請求にあたつて、公判証言と調書記載とを対比して摘記しているからこれによつて十分相異相反性の有無を調査できるのであつて、いまだ証拠能力の有無が判明しない検事調書の内容をことさらに閲読するまでもないといい得る。

いわゆる特信情況とは前の供述の信用性の情況的保障をいうものであつて、証拠能力の要件と解するのが相当である。ただ前後の供述の比較が前提となつている相対的なものであるから、前の供述の内容も資料にはなりうると解せられるのであるけれども、前の供述(検事調書)の内容を必ずみなければ特信情況の存否が判断できないという性質のものではなく、法は証拠調前に実質的心証形成をすることを許していないから、できるだけこれをみないのがむしろ望ましいのである。本件の原審における証人尋問の過程、調書取調の請求方法等に照らして考えると、原裁判所が検事調書の採否を決定するに当つて、これを閲読しなかつた手続になんら誤りはない。

そして一般に供述が事理に適つているとか、客観的事実に符合しているとかいうことは、元来その供述の証明力に関することであり、なお、検事調書は一般に検察官がその内容をまとめたもので速記の形式ではないことなどをも合わせ考慮すると、右のような事情は証拠能力の判定にとつて少なくとも第一次的なものではない。もつとも特信情況は前示のように相対的なものであるから、公判廷における供述が極めて不自然であつたり、矛盾が多くあいまいなときは、何故そのような供述をするかを当該証人に対する具体的尋問を通じて法廷に顕出し、その結果法廷では真実を語りえない事情がその具体的事項について明らかにされた場合は、前の供述の特信情況の存在を肯定することができる。しかしこれは個々の証人の具体的事実に関する供述ごとに個別的に判断すべきことであつて、単に被告人らが一団となつて法廷闘争をしているという抽象的な理由から、その者が証人になつたときは真実を述べるはずがないという形式論だけで、他になんらの具体的事情を確かめることなく、一律に特信情況の存在を認めるわけにはいかないのである。

第二節各説

ここで所論は第一節総説中第一の昭和三六年七月四日付証拠決定(その二)に関し、前示第一および第五で主張した総括的見解に基づき、各個の検事調書について、具体的に原決定の誤りを主張するのである。

当裁判所は所論に基づき各検事調書についての原決定の当否を判断するにあたり、すでに述べたほか、次の諸点にも留意した。

まず、任意性の有無に関しては、被告人の年令、境遇、健康状態、事案の性質内容、取調状況その他諸般の事情について、記録全般を精査して検討したが、とくに本件においては、多数の被疑者が身柄を拘束され、集団のグループごとに取調を受けており、捜査官側は警察および検察庁のそれぞれの相互間ではもちろん、警察官と検察官との間においても、被疑者のグループを軸として、かなり相互的な組織体制のもとに捜査したことが記録上認められるので、これら被疑者グループとその取調官のグループの相互関係、警察官の取調と検察官の取調の前後関係、右のような取調体制と各被疑者の供述との間の縦横相互の影響性についても能う限り検討した。これは供述の任意性判断の基礎となるべき事実、とくに、手錠の施用、暴行、脅迫、約束、供述の押付けなどの事実の存否に関しては、被取調者と取調官の各供述が相対立していることが多いので、これらの供述の信憑力を判断するには、右のような事情も十分考慮して有機的総合的な調査をすることが必要であると考えたからである。

次に、特信情況については、検察官の所論の被告人らの法廷における公判活動から推認しうる一般的事情だけではなく、各供述者の公判廷における証言内容およびその証言の仕方、表現方法、ならびにこれに対する検察官の弾劾質問とこれについての供述者の応答などから推論しうる個別的事情を重視して考察し、これに関連して検事調書およびその前提たる警察調書が作成された際の各取調状況についても個々的に検討した。

なお、前示暴行脅迫等の基礎的事実の存否の認定は、元来原審の自由心証に委ねられているのであつて、その認定はもとより原裁判所の恣意によることは許されないけれども、合理的な範囲内ではその自由な心証により証拠資料の価値判断をして右基礎的事実の存否を認定し、もつて自白の任意性、証拠能力の有無を決しうるのであるから、たとえ多数の証拠資料のうちに原決定の認定判断とは反対の資料があるとしても、その一事をもつて原決定を非難することはできないのである。

さて、各個の検察官調書についての所論に対する判断は、別紙第一に記載(本要旨では省略)のとおりであつて、要するに、いずれの検事調書についても、原決定が却下した部分は、その理由の一部に誤りとみられる点がないではないが、その結論において、判決に影響を及ぼすことの明らかな違法があるとは認られない。

また、原決定が採用を決定した検事調書のうち、高元乗の27.7.22付検事調書(一回)、金好允の検事調書(一回)、任根の検事調書(三回)および呉泰順の検事調書(一回)につき、当審において弁護人らから右調書は任意性、特信情況のないものであるから、証拠から排斥すべきであるとの申立がされているが、原決定が右各調書の供述記載につき任意性、特信情況を認めてこれらを採用したことが誤りであるとは認められないから、当審においてもこれらを証拠から排斥しない。

第三節結語

結局、原裁判所が所論指摘の証拠を却下した各決定には、そのいずれについても、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続上の法令違反があるとは認められない。論旨はいずれも理由がない。

第四章同控訴趣意第四点および第五点(事実誤認の論旨)について

第一節序説

論旨は、要するに、本件集団の行動が騒擾罪ならびに威力業務妨害罪にあたるとの検察官の主張をことごとく却けたが、原判決は本件集団の目的と性格ならびに集団の神社前から国鉄吹田駅までの行動とくに共同意思について重大な事実誤認をおかしたものであるというのである。

以下に個々の所論を判断するに先きだち、爾後の説示の便宜等のために、ここで若干の説明を加えておく。

所論は事案の全体的考察ということを各所で強調し、原判決は各場面における暴行脅迫を個々別々にとらえ、その外形的な規模と態様のみから共同意思を否定したと非難するのであるけれども、原判決の「第一部騒擾関係被告事件」の第二章、第三章の全体を通読すると、原裁判所の本件事案の考察方法自体に所論のような誤りがあるわけではなく、要は集団の共同意思を認めなかつた原判決の判断そのものに誤りあるかどうかに帰するのである。

ところが所論は「集団の行動を全体として考察して共同意思の有無を判定し、しかる上で各場面における集団員による暴行脅迫を集団全体との関連において評価するのが正鵠を得た観察である」と主張し、具体的には、まず(イ)神社前以後の本件集団の行動は、それよりも以前の臨時電車の強要、豊津巡査派出所・笹川方中野方等の襲撃をとおして、待兼山集会時より内在した暴徒的性格が漸次表面化するとともに、集団心理現象により自らその強度を強め、神社前において警官隊の警備線に遭遇するや一気にこれを突破すべく、隊位を整えて結束しスクラムを組んで、いつせいに警官隊の間を通過したもので、ここに暴徒の本体を顕現し、同地方の静謐を害する実体を具有するに至つたもの(騒擾の始期)であり、そして(ロ)その後も余勢をかつて、次々に集団の共同意思に基づく暴行脅迫をほしいままにしたものであるといい、なお(イ)につき神社前で警察官と対峙した時点では、集団の大多数に警察官の職務行為を不法な実力をもつて妨害しようとする明白にして確定的な意思が存したもので、本件集団にはその合同力によつて暴行脅迫をなす意思すなわち共同意思が存在したことが明らかであり、(ロ)につき神社前以後における一部の者の積極的な暴行脅迫は、当然起りうべくして起つたものとして集団全体がこれを容認し支持していたものであるとの前提を終始変えることなく、もつぱらこの見地から原判決の事実認定を非難攻撃するのである。

そこで当裁判所は、まず右(イ)の点につき所論の「本件集団行動の目的と性格について」および「本件集団の騒擾現場における行動について」のうちの「神社前警備線突破の状況」についての主張を検討し、その間所論が法令の解釈適用の誤りの個所で詳説する各般の事情をも総合して判断したところ、結局、後述するように、右神社前におけるいわゆる警備線突破時の本件集団員の行動をもつて、集団の共同意思に出た暴行脅迫であるとは認められないとの結論に達した(後出第二節第一の一、二および第二の一)。そうすると右の点について「余勢をかつて」集団そのものの暴行脅迫を継続したとの見地から、竹の鼻ガードから国鉄吹田駅までの場面を検討する前提を欠くことになるので、右各場面の暴行脅迫がそれ自体において、そこに至るまでの集団の行動等をも加えて考察して、集団の共同意思に出たものといえるかどうかについて検討した(同第二の二以下)。その結論は、いずれの場面についてもその各暴行脅迫がいまだ集団の共同意思に出たものとは認められず、本件騒擾罪は成立しないとした原判決の判断には、結局のところ誤りはないということになつた。

そこでさらに論旨第五点の所論に照らし、後出第三節において、原判決が騒擾罪が成立しないとの前提でなした各場面における被告人らの個別的行動についての事実認定の当否を検討したところ、各被告人らの具体的暴行などの行為については原判決がその第五章において認定した事実以上の事実を認めることができない(この点についての弁護人の控訴趣意も理由がない)から、原判決のこの点の判断にも誤りはない。そしてその後第四節において、威力業務妨害罪の成立を否定した原判決の当否を検討したところ、原判決は他に認定すべき諸般の状況を看過し、直ちに犯罪の証明がないとしたのは事実を誤認したものであるとの結論に達した。

以下順次説明する。

第二節騒擾罪の成否

第一本件集団行動の目的と集団の性格

一本件集団行動の目的

所論は、本件集団行動の目的は原判決がいうような単なる示威行進を目的としたものではなく、吹田操車場における軍需列車を現実に破壊するなどの不穏な行動に出ることを企図していたものであるというのであるが、(一)丘陵参集者に対しては、被告人三帰省吾、同夫徳秀において「軍需列車阻止のためデモ行進を起し吹操を襲撃する」旨の抽象的な演説をしたに止まり、それ以上具体的な内容、方法についてなんら述べておらず、粉砕とか襲撃とかいう常とう語による抽象的な演説だけで直ちに現実に列車を破壊するなどの物理力行使の実行を求めたものとは考えられず、当時の社会情勢や当日の集会の雰囲気、および後述の一部の者の事前の準備などを総合してみても、右の「吹操襲撃」という抽象的標語的な一語で、集会参加者の大多数の者が、集団全体の力で吹田操車場における列車破壊、貨物損壊などの妨害的実行行為を行なう決意をするにいたつたものとは認められないし、(二)校庭参集者の多くは大阪へ帰るつもりでいたものであり、石橋駅から乗車した電車の中で学生服の男が「服部駅で停車したら全員下車して下さい。吹田まで行進して軍需列車を襲撃する」という趣旨の演説をしたと証言するものもあるが、他の者は吹田操車場へデモに行く旨の指示があつたというほか、服部駅で停車して初めて下車することを知つたというものも相当数あり、たとえ車内で右のような抽象的な演説をしたものがあるとしても、電車の窓を開け多数の集団員を乗せて疾走中の車内でのことであり、その言葉を正確に聞きとつた者すら多数であるとは認められず、その他所論に照らし、その後の校庭参集者の行動を加えて検討しても、この集団員の多数の者が吹田操車場内でなんらかの破壊行動を行なうことを企図していたとは認められないし、(三)待兼山集会以前の民愛青、民青グループなどの動静についてみても、右グループのごく一部で集会前に本件集団行動についてのある程度の話合いが行なわれ、火焔瓶を用意することなどの打合せなども行なわれたことは認められるが、右少数者の間で吹田操車場における軍需列車の破壊ないしは現実的運行阻害についての具体的計画がなされたことを認めるに足りる証拠はなく、結局、この者らが右列車に対する破壊的行動を企図し、待兼山集会さらには神社前にいたるまでに右企画をその所属グループの者らに浸透させたものとは認めることは到底できない。

その他本件集団の神社前にいたるまでの行動経過を加えて考察してみても、本件証拠によつては、本件集団が単なる示威行進を目的としたものに止まらず、吹田操車場における軍需列車の現実的破壊や運行妨害を企図していたものであるとは到底認められない。

二本件集団の性格

所論は、本件集団は攻撃的、暴徒的性格を有するものであるのに、原判決は待兼山集会が日本共産党の軍事活動の一環としてその指示のもとに組織的に運営されたその実態を把握せず、また集団が神社前にいたるまでの諸般の行動や集団の武装状況についてもこれを過少に評価したため、集団の性格についての判断を誤つたというのであるけれども、右集会の実態の点については原審で訴因に掲げていないのみならず、証拠上も被告人三帰省吾の原審での供述だけから直ちに所論のようなものであるとは断じ難く、本件集会ないし集団行動が組織的計画的に行なわれたものであるにしても、なにびとがその実際の主導権をにぎつていたかは証拠上も不明というほかなく、所論が待兼山集会の実体は共同意思と密接な関連があるにかかわらず、原判決がその状況を概括的に記述したのに止まるのは、あえて本件集団の暴徒的性格を否定せんとする誤つた態度であるという点は検察官において証拠を過大評価し、証拠に基づかない独自の見解によるものというほかなく、原判決が共同意思の判断において待兼山集会の実体にあえて目をおおつたものであるとは認められない。また集団の神社前までの行動や集団の武装状況等の具体的事実について原判決がとくに過少な認定をしているとは認められない。

所論は原判決が武装した集団の意図について全般的には防衛的なものであつたと判示した点について、原判決があたかも警察官らに対し積極的に攻撃を加える意思を持つのでなければ共同意思を認めえないというがごとき判断を示したもので誤りであるというけれども、原判決は集団の神社前産業道路横断直前の「武装」状況として、火焔瓶・硫酸瓶、鉄片、パンク板、竹槍、竹・棒の類、石などをその判示の数量所持していたと認定したうえ「右のような『武装』は、集団示威行進としては、被告人らのいうように当時の集会や示威行進に対する官憲の弾圧に対処するものであつたにしても、なお異常、異例であり、本件集団の性格をよく示すものとして重視しなければならない。また竹槍などを持つたこのような集団が行動するときは、暴徒的集団として容易に警察官の干渉を受けるにいたることも明らかであろうし、このことは集団の多数も予期していたものと認むべきである」と判示したが、「ただ、このような『武装』した集団の意図がどこにあつたかがつぎに検討されなければならない」としてこれらの『武装』なるものは、集団としては警察官の出動に対処するためのものであつたことは明らかであり、とくに火焔瓶、硫酸瓶などについてはその攻撃的意図も看取されないでもないが、なお全般的には防衛的なものであつた」と認められると述べているのである。そして、原判決の本件集団のいわゆる武装状況が異常異例であり、このような集団が行動するときは容易に警察官の干渉を受けるにいたることは明らかであろうという判断は、当裁判所もこれを正当として是認する。けだし集団示威行進それ自体は表現の自由に属するものとして、憲法二一条一項の保障するところであるけれども、いかなる理由にもせよ『武装』することを許容するものではない。表現の自由の行使は平穏になさるべきであつて、他人の人権を侵害し、とくに暴力を行使することを是認するものではないからである。しかし「容易に警察官の干渉を受けることの明らか」な「異常異例」の『武装』をした集団であるということと、その集団の行動が刑法の騒擾罪に該当するということとは、もちろん別個の事柄であつて、これを直ちに結びつけることはできないのである。本件集団の武装状況は、本件集団の性格を考察する際に、重視さるべき事項の一つではあるけれども、共同意思との関連においては、その外形的事実のみならず、武装をした意図についても検討する必要があるのであつて、この点も原判決のいうとおりである。そして原判決が「防衛的」といつているのは、集団員が武装した意図についていつているものであることを見逃してはならない。一般論として適法な警察活動に対して防衛行為のありえないことは所論のとおりであるけれども、原判決が本件集団が武装して警察官に抵抗することを正当な防衛行為であると判示したものでないことは判文を一読すれば明らかである。そして積極的にであれ、消極的にであれ、多数の者が共同して暴行脅迫する意思を有し、かつ、これに基づく暴行脅迫が行なわれたときは、一般に集団の共同意思に出た暴行脅迫であるといつて差支えないけれども、原判決は直接この点を云々しているわけではなく、検察官が本件集団の性格が攻撃的暴徒的なものであるとしてその積極的な暴行脅迫の意図を主張するのに対して、集団全体としてはそのようには認められないという趣旨で「防衛的」と判示したもので、警察官らが手出ししてこないのに、自分たちの方からこれに対して暴行脅迫にでる意図で棒や石を持つていたのではないという心理的事実を簡潔に表わす意味でかかる用語を用いたものと解せられるのである。

そして本件集団の神社前産業道路横断直前における武装状況は、原判決がその六九頁(三帰省吾以下九五名に対する判決書)に認定しているとおりであつて、そのうち生野グループの一部には火焔瓶、硫酸瓶などを極秘裡に準備して待兼山集会に携行した者があり、それは警察官の攻撃に対処するためのものであるにしても、その個々の者らには攻撃的な徴表が認められるけれども、集団全体からみると右の者らは一部の隠れた存在であり、しかもこれらの準備携行を企図した者はごく少数の者に止まるのであつて、待兼山で右火焔瓶等を分配されてその後これを携行した者の多くが、当初から警察官らに積極的に攻撃を加える意思を有していたと認めることは諸般の情況に照らし困難である。(後述の各場面のうち、神社前での横断時には警察隊に対する火焔瓶の投擲は証拠上一個を認めうるにすぎず、ウイポン車の場面でもこれを所持しながら使用せずあるいは逃避する者の方がはるかに多かつたことや、国鉄吹田駅における混乱時におけるその使用もわずかであつた状況にそのことが示されている)。集団員の大多数は、吹田操車場ヘデモをかけるという意識は持つていたが、そのために火焔瓶などを使用するという暴挙に出ることに同意しあるいは是認していたものであるとは到底認められない。また集団員の半数近くが竹・棒を所持し、相当数の者が石などを持つていたことは認められるが、その大多数の者らに、警察隊が実力行動に出て来たら、一丸となつて暴行脅迫の行為に出て、有無をいわさずこれを突破して行くというような高調した雰囲気がみなぎつていたものとは認められないのであつて、これらの者も各グループの引率者などから指示され、警察隊が自分たちに対し検挙その他の実力行動に出てきたときには、負傷させられたりしないよう身を守る必要があるとして一応は竹・棒や石などを持つてはいたが、これによつて積極的な暴行に出るとか、結束して抵抗するとかいう意識を大多数の者らが有していたとは証拠上認められない(この点については、各場面で一部の者が暴行脅迫に出、煽動的な言辞でそそのかすことがあつても、大多数の者はこれに乗ぜられることなく、モップ化していないのはもちろん、おおむね隊列を整えて行進を続けているという行動自体になつて現われているのである)。

以上要するに、いわゆる武装状況を所持品の種類、数量等の外形からみると、一見暴徒化し易い集団のように思われるのであるけれども、竹・棒や石などを持つた集団員の意図を検討すると、その大多数の者の間に攻撃的積極的な暴行の意図が支配していたとも、結束して暴行しようという意識に包まれていたとも認められないのである。原判決が「全体としては実力をもつて警察官の妨害を排除してあくまでも本件集団行動の目的を遂行するという強固な意識に支えられていた」という部分は、証拠と合致しないものであり、同判決は暴行脅迫の意思でなくデモ行進をするという意識が全体を支えていたにすぎないことを強調するためにかかる判示をしたのかも知れないけれども、それも言い過ぎであるように思われるのであつて、学生、労働者、朝鮮人などの種々雑多のグループがしかも当日の集会の終了時に一時的に編成された群集からなる本件集団に原判決のいうような強固な意識を認めることには証拠上疑問がある。

そして群集あるいは集団は、多数人の集合体であるため、これが行動するときは、なんらかのきつかけによつて暴徒化する危険性を内蔵しているものであることは争えないところであり、集団行動の危険性を一概に古い時代のドグマであると退け去ることはできず、現代社会生活においても軽視できないものであると考えられるが、その危険性が顕在化しないのに、これをすべて暴徒的性格を持つ集団であると断定することはできない。とくに集団行動の途中で集団の一部の者が暴行脅迫をした場合に、それが集団の共同意思に出たもので騒擾行為といえるかどうかの判断をなすに際して集団の性格を検討するのに、群集心理や集団行動の危険性を強調して、ごく一部の者の徴表から直ちに全体の暴徒性を抽象的に推断することはできないと考える。

結局、本件のすべての証拠を検討しても、公訴事実に記載の神社前での暴行脅迫が行なわれるよりも以前、すなわち警官隊と対峙した時点において、すでに、所論がいうような集団の大多数の者の間に警察官の職務行為を不法な実力をもつて妨害しようとする明白にして確定的な共同意思が存し、攻撃的暴徒的性格が集団全体に顕在化していたもので、騒擾の共同意思をあらかじめ有していた集団であるとは到底認めることはできないのである。

第二暴行脅迫が行なわれた場面における集団の行動

一神社前におけるいわゆる警備線突破の状況

所論は、原判決は本件集団による暴行脅迫の態様を過少に認定し、集団が暴行脅迫によつて警官隊に先制攻撃を加えてこれを圧倒し制止行為に出る余地をなからしめて一挙に警備線を突き切つたものであることなどを否定し、結局神社前における集団の共同意思を否定して警備線突破における騒擾罪の成立を否定したのは誤りであるというのである。よつて以下に検討する。

(一) 神社前における暴行脅迫

まず(1)松本・吉井両警視に対する脅迫の点については、原審および当審における関係警察官の証言は、諸般の状況にかんがみると誇張があると認められ、集団の先頭の者が右両警視らにに対し害意を示す意図をもつて竹槍を突きつけたものであると断ずることはできず、まして先頭の者らに続く大多数の集団員が先頭の者らと両警視との間の出来事を認識し脅迫行為に出ることに同意を表わしていたものとは認められない。(2)横断時における投石状況の点は、集団員からの投石が、集団の各所から石が乱れ飛ぶという状況であつたと認められないのはもちろんのこと、警察官を狙い打ちするという攻撃的様相を呈していたとも認められず、ただ警察官のいる方へある程度の石が飛んだというにすぎず、一〇〇〇名近い集団員が横断した際の広く開けた道路上での投石であることをも考慮すると原判決が投石状況について「一部のものから少数の投石があつた」と判示しているのを過少な認定であるとはいうを得ない。(3)火焔瓶投擲の点は、原判決が認めた一本は横断中の集団の一員が京都寄りにいた警察官やウイポン車を含む一団すなわち警官隊の方に向つて投げたものと認めるのが合理的であるが、もう一本の火焔瓶が投げられたとの所論は採用できない。(4)硫酸瓶らしいもの三本くらいの投擲の点は、証拠上、集団員から大阪寄りにいた警察官に対して右の三本が投げられたと認定するには合理的疑が残る。(5)集団の横断行為については、原判決挙示のほか原審および当審で取り調べた証拠を総合すると、その要点は次のとおりである。すなわち、約九〇〇名の集団は神社前の南西側から三叉路を経て参道に入つたが、その正面南東側産業道路上の警官隊をみて鳥居の手前で先頭から順次停止した。吹田市警察は国警大阪府本部の応援を受けて集団の吹田操車場への侵入を阻止すべく同市警松本警視の指揮する約一三〇名の警官隊を出動させ、右警官隊は産業道路上神社参道入口付近にいたり、松本警視の直接指揮する同市警署員三四名が右参道正面付近産業道路上に神社に向いほぼ二列の横隊となり、国警吉井警視の率いる国警隊員約九五名がその大阪寄りに続いて京都方向に向い二列縦隊で道路左側(北西側)に位置し、参道から産業道路へ出てこれを横断しようとする集団と相対峙する形になつた。松本、吉井両警視は一応集団員と話合いをしてできれば解散、少なくとも吹田操車場へ向うことを断念させるよう交渉してみようという考えで、集団の先頭に近づきそのあたりの者らに「誰か責任者はいないか」と口を切つたが、らちがあかないので、次の対策を考えるべく、きびすを返して警官隊の方へ引き揚げたが、隊員にはなんの指示も与えないでいた。他方集団員は警官隊の姿をみてここで検挙その他の実力行使に出られるのではないかという不安と緊張に包まれ、ある者はあたりの小石や棒切れを拾うなどしたり、先頭近くにいた者は右松本・吉井両警視らに対して野次や多少口汚い声援を送つたりした。さらに後方の者は先頭での折衝の模様がよく分らないのでいらいらしていたが、前の方から八列になれスクラムを組めという指示が伝えられたので、集団員はこれに従つて待つていた。そのうち両警視らは前示のように引き揚げたけれども、集団の先頭は直ちにその背後に肉薄することなく、暫時、間をおいた後、徐々に前進を始めて産業道路への出口付近まで近づいた。この頃には正面にいた吹田署員は松本警視からなんの指示もないので、右集団が進出するのを阻止するような態勢に出ることなく、むしろ集団が前進を始めたのを見てその両側へ寄り、このためそれまでの横隊の隊列は左右に開かれたような形になつた。これを見た集団の先頭の者らは次第に歩を進めて産業道路に出て、両側に警察官が傍観するなかを前進し、先頭が横断し終えたころ、被告人夫徳秀の号令で集団はいつせいに走り出し、ほぼ八列のスクラムを組み、喚声をあげて横断し終えたが、その間も警察官は立つたまま見送るだけであつた。この間集団が走り出してから、前示の一部の者から投石等があつたほかは、横断に際して産業道路上の警察官の身体を押したり突いたり、竹槍などで突きにかかつたような事実はない。

以上のような事実が認められるのであつて、この点について原判決は「いわゆる警備線をしいていた警察官三六名は集団の勢威に押されて早々に『八』の字に開き」と判示しているけれども、当審における事実の取調の結果を加えて検討すると、右のような状況であつて、警備線が『八』の字に開いたという状況ではなく、また両側へ寄つたのが集団の勢威に押されたためであるともいえない。結局、警官隊は集団が産業道路に出てきたらここで阻止するという気構えで集団を迎えたという態勢は全く窺えず、松本警視らが集団全体に対して警告や指示を全く与えず、その率いる警官隊に対してもなんらの具体的指示命令をも行なつていないことなどを総台すると、むしろここでは集団に対する指示や実力行使を避け、次の機会になんとか措置しようと考えて集団を通したとみるのが、ことの成り行きから考えて合理的であると思われる。

そして投石や火焔瓶の投擲は前示のように集団の先頭が横断し終つたのち、これに続いて横断中の一部の者がしたことであると認められるから、その行為を目して先制攻撃であるとはいえない。

このようにみてくると、集団がその勢威をもつて警官隊を圧倒し、先制攻撃を加えて一挙に警備線を突破したということはできないのであつて、原判決が「この横断行為そのものを騒擾罪の暴行脅迫と見ることは困難である」としたことも、結局は正当である。

(二) 神社前の暴行脅迫についての共同意思

神社前産業道路横断直前の集団全体に所論のような明白かつ確定的な暴行脅迫の共同意思が存していたと認められないことはすでに述べたところであり、所論が証拠をみても集団の大多数が警察官に対し暴行に出る決意に燃えていたことが十分に窺えるとして挙示する証拠によつても、積極的にせよ消極的にせよ、警官隊に対して結束して暴行しようという意思を多数の集団員が持つていたとは到底認め難い。また諸般の状況にかんがみろと、八列のスクラム隊形をとつたことも、自分たちの方から暴行に出るというのとは逆に、いかにすれば警官隊から殴られたり追い散らされたりせず、かつ、これによる乱闘の事態を生じないですむかということを案じたむしろ暴行等の事態から逃れるための配慮から出たものと考えられるのであつて、所論の証拠から、右スクラム態勢をもつて、集団員全体が打つて一丸となり警察官と体当りしてでも押し切つて行こうという決意を固めたものであるとは評価しえないのである。そして横断行為に移つてからは、集団の多数の者は、ぐずぐずしていて警官隊から実力行動をされるといけないので早く渡り切つてしまおうという気持だけで一杯であつたことは、関係証拠からも容易にこれを窺い知ることができるのである。従つてその間の一部の者の前示投石や火焔瓶の投擲などの暴行が、集団員の多数の意思とかかわりのあるものとは認めることができず、右暴行が集団の共同意思に基づくものであるとはいうをえない。

原判決はこれらの点に関し「産業道路上に出動した警察官を見た集団は、あくまで吹田操車場に進出して行動する企図を放棄することなく、これを阻止または解散させようとする警官隊との間に紛糾を生ずるであろうことは必至であると考え、さきに「武装」のところで述べたような防衛態勢を整えたものであつて、警官隊の出方いかんによつては集団による暴行脅迫の事態の発生にいたるであろうとの予見がなかつたものとはいえない」と判示しているが、その他の原判示部分と合わせ読むと、右に当裁判所の説示したところを判示しようとしたものであるか、そうでなければ原判決が判断を誤つたものであると解するほかはない。しかし所論が付度するように、原判決が集団が神社前で警官隊と対峙した時点で、すでにいつたん共同意思が成立し、横断時にはそれが消滅していたという趣旨でこの場面での騒擾罪の成立を否定したものと解し得えないことは、原判決文全体を精読すると明らかであり、証拠関係からもすでに述べたとおりそのようには認められないのである。

以上のとおりであつて、所論は神社前におけるいわゆる警備線突破行為をもつて本件騒擾の始期であるというので、くわしく検討したが、結局は原判決がこの場面における騒擾罪の成立を認めなかつたことに誤りはない。

従つて、次の竹の鼻ガード以後の場面での各暴行脅迫が、神社前における集団の共同意思に出た暴行脅迫の余勢をかつて行なわれたもの、当然起りうべくして起つたものとして集団全体が容認し支持していたものであるという所論はその前提を欠くこととなり、以後の場面は所論のような観点から論ずることはできず、名場面ごとに改めて諸般の状況を総合的に検討して判断することを要するのである。

二竹の鼻ガードにおける状況

(1)火焔瓶等の投擲数については、証拠を検討しても、原判決が認定している三本のほかに、所論のようになお二本ないし三本の火焔瓶がガード上の警察隊に投げられたものとは認められない。

(2)投石状況についても原判決が認定する程度のものであつて、所論のように集団の先頭近くから投石が始つて次第に盛んになり、それが後尾近くまで継続したとも、投石数が五、六十個もあつたとも認められないから、すさまじい攻撃を加えつつ突進したといいうる状況であつたとはいえない。

そして投石等が始まつたのは原判示のとおり集団の先頭からある程度後ろまでの者がガード下地下道に入つた後であり、火焔瓶等の投擲はさらにその後であり、集団はガード上で警官隊が見守る下の地下道をくぐり抜けたもので、警官隊も集団がガードをくぐり抜けることを阻止しようとしていたものではない。そして集団員の大多数は警官隊による狭撃をおそれつつも、一刻も早くくぐり抜けようという気持だけで一杯であつたと認められ、集団が警官隊に対して先制攻撃を加えてガード下を突破したものとは到底いうを得ない。

(3)共同意思については、集団員の大多数の間にガード上の警察官に対して共同して暴行を加えることを容認する雰囲気がみなぎつていたとは認められず、前示投石や火焔瓶等の投擲は、個々の暴行としては必ずしも軽視しがたいものであるにしても、またその実行者の意図がどうであるにしても、右個々人の暴行が集団の共同意思による集団そのものの暴行であるとは認められない。

その他所論にかんがみ右ガードに至るまでの本件集団の意図と認識ならびにその行動を検討し、さらに考察を加えても、右ガードにおける集団の共同意思を否定した原判決の判断に誤りがあるとはいえない。

三岸辺駅における状況

証拠を検討すると、原判決が岸辺駅における集団からの投石について「先頭より少し後方のものと後部にいた生野グループあたりの少数のものがこれら<同駅を警備していた松本警視ら警察官および鉄道公安官を指す>に対しいくつかの石を投げたが当らなかつた」と認定したことに誤りはなく、検察官が主張するほど多数の投石があつたとも、投石がそれほど激しいものであつたとも認められず、通りすがりに一部の者がいやがらせにしたという以上には評価し得ない比較的軽微なものである。集団から罵声が飛んだというのも、たまたま駅舎に警察官らがいるのを見た者が「アメ公の手先になるな」などと叫んだという程度であり、この程度のことがあつたからといつて、一部の集団員の投石について他の多数の者が同調しこれを支援したものであると断ずることはできない。

従つて、岸辺駅における暴行につき集団の共同意思に出たものと認められないとした原判決の判断に誤りはない。

四吹田操車場内における状況

所論はまず、集団の先頭近くの者が第三信号所等において警備中の警察官や鉄道公安官らに対して投石したというのであるが、証拠を検討しても、原判決が認定している同信号所二階にいた国鉄職員市田久雄に対する竹棒二本と石一個の投擲のほかには、警察官や公安官らに対する投石があつたものとは認め難く、また所論は右市田に対する投棒、投石は原判決がいうような単なる私闘ではなく、集団の共同意思に出たものであるというのであるけれども、関係証拠をくわしく検討しても、そのようには認められない。

さらに所論は集団が操車場内に無断侵入し構内を進行したこと自体が騒擾罪にいう暴行に該当するというのであるが、証拠によると、集団は道路と鉄道敷地との境の柵の切れ目から操車場構内に入り、約一五〇〇メートルを約二五分間通行したというだけであつて、その間右構内において軌道や敷地そのものを損壊したことなどの事実は認められないから、前示最高裁判所判例の建物の不法占拠または不法侵入などの場合とはその性質態様を異にし、本件のような単なる鉄道敷地への立入り通行までをも物に対する有形力の行使であるとして、騒擾罪にいう暴行であると認定することは困難である。

また所論は原判決認定の集団員の怒号は集団の勢威をたのんでしたものであつて、騒擾罪にいう脅迫に当るというのであるが、証拠を精査すると、集団員は隊列を組んで戦争反対、軍需輸送反対などと叫びながら歩いたのにすぎず、その多くの者が公安官や駅長ら個々人に暴行脅迫を加える意図を有していたとは認められないから、たまたま集団のなかの一、二名が右の者らに脅迫的言辞を発したからといつて、集団の合同力をもつて脅迫したものであるとは認められない。

次いで所論は、本件集団の構成、人数および武装状況等から判断して、その行動たるや目的の如何を問わず操車場職員の自由意思を制圧するに足るものであり、現に集団の構内行進によつて約二〇分間操車業務を中止せしめられているから、本件集団の行動は騒擾罪にいう脅迫に当るというのである。騒擾罪における脅迫は広義のもので足るのであるけれども、すでに述べたように、それは人に対するものであることを要するのである。なるほど本件は約九〇〇名の者の半数近くが竹や棒などを所持する集団が操車場内に立ち入つたものではあるが、右集団が立ち入つた行動自体をもつて人に対する害悪の告知行為であると認められないのはもちろんのこと、それ自体が直接特定人に向けられたものでその人を畏怖させる行為であるとも認められないのである。従つて、右集団の状況や四囲の状勢からみて、それが威力業務妨害にいわゆる威力に当るかどうかは別として、本件集団の右立入り行為自体を騒擾罪にいう脅迫であると認めることはできない。

以上のとおりであつて、吹田操車場内における本件集団の行動をもつて騒擾行為と認めなかつた原判決の判断に誤りがあるとはいえない。

五産業道路上における状況

所論は要するに原判決が産業道路上における集団の一連の暴行の規模態様を過少に評価し、かつ、右一連の暴行をもつて集団の共同意思に出たものと認めなかつたのは誤りであるというので、以下順次所論について検討する。

(一)クラーク准将乗用車に対する暴行については、原判示(1)が民青グループあたりの者が投げた棒が二、三本であるとする点は五、六本と認むべきほかは、原判決の認定した以上に、所論のように集団の隊列の前後にわたり随所から多数かつ熾烈な暴加が加えられたとは認められない。

(二)茨木市警ウイポン車の場面での暴行については、原判示(2)(原判決第三章第三節二の(二)の判示(2)(八六頁)をいう。以下も同様)が同車の車体や搭乗警察官に命中した火焔瓶は三本であるとする点は、右のほか、薬師神巡査、岩城巡査の各鉄帽、中村巡査部長のすぐ前の床板上に各一本づつ計三本の火焔瓶が命中炎上したことを認むべく(同車の警察官に向つて投げられ命中しなかつたものについては原判示以上の事実は認め難い)、転落等した警察官らに対する暴行の点は、原判示(5)ないし(8)のほか、集団が遠く過ぎ去つたのち、小田切巡査の救護に近づいた針馬巡査部長らの近くに、たまたまそのころ付近に残つていた集団員が火焔瓶一本を投げて道路上で発火炎上させ、壺井方庭のあたりに同人方へ逃げ込んだ警察官に対して投げられた小さな火焔瓶と思われるものが落下炎上したことを認むべきほかは、原判決が認定した以上の事実は認められず、所論のように投石がもつと多数で火焔瓶投擲後も止まずウイポン車が集団の前方に離脱するまで続いたとか、転落等した警察官に対する殴打や投石がもつと多数の者が行なつたということはできない。

(三)岸部巡査派出所に対する暴行については、原判決が認定した事実以上に認むべきものはなく、所論のようにもつと多くの者が次々に石やラムネ弾を投げたり、入れかわりたちかわり棒などで襲つたものであるとはいうを得ない。

(四)ビーヌ軍曹らの乗用車に対する暴行については、原判示の事実のほか、生野グループあたりからいくつかの投石があつたことを認むべきであるが、集団全体としては、原判示の投石状況とさして差異はなく、所論のように集団の先頭から多数の石が投げられ始めて後尾にまで続いたものということはできない。

(五)片山東巡査派出所に対する暴行については、原判示の事実のほか、東淀川グループの後部の者あたりに混在していた朝鮮人らしい者の幾人かが隊列を離れて同派出所のガラス戸などを棒で叩いたことを認むべきほか、所論のように六五個の投石が激しく行なわれたとは認められない。

(六)片山西巡査派出所に対する暴行については、原判示事実のほか、民青北野高校班もしくはその前あたりから幾人かが投石し、生野グループあたりから幾人かが隊列を離れて棒などで同派出所の窓やガラス戸を壊したこと、投石数はおおむね領置にかかる三五個くらいであることを認むべきであるが、同一人で二個以上の投石をしたものも相当あると認められるから、右投石数から、所論のように集団の先頭から順次後部にわたつて投石があつたとはいえない。

(七)産業道路上の暴行脅迫についての共同意思

所論は、要するに、産業道路上の各場面での暴行等は集団の勢威を背景にしたものであり、その合同力をたのんでの所為であつて、かつ、集団員のほとんど全員がこれに同調し少くともこれを認容しつつ、集団行動を共にしていたことが明らかであるから、右各暴行等は集団の共同意思に出たものというべきであるというのである。ところで所論は、さきにふれた神社前で成立したと主張する本件集団の暴行脅迫の共同意思が産業道路上でも依然継続していることを前提として、クラーク准将乗用車に暴行し、ウイポン車に先制攻撃を加えてさらに意気昂揚し、その余勢をかつていよいよ狂暴性を高めつつ、その後の各場面での暴行に出たというのであるが、すでに説示したように、産業道路上に至るまでの場面において集団の共同意思に出た暴行脅迫と認めうる事態は生じていないから、共同意思の継続を前提とする主張はとるに由なきものである。本件集団は吹田操車場を出て産業道路上の行進に移つてからも戦争反対等のスローガンを叫んだりしているけれども、多くの集団員は本件行進の主たる目的は右操車場を退出したことによつて終つたとの安堵感があつたことは証拠上争えないところである。そして産業道路上に至つてからは、約一〇〇名の警官隊がかなりの間隔をおいて集団の後を追尾していたので、集団員は不安を覚えつつもなんとかこのまま無事帰宅したいという思いで前夜来の行進の疲れに耐えて歩いたものであると推認するに難くない。所論はウイポン車に対して先制攻撃をかけたといい、原判決もこれを肯定するごとくであるが、証拠によると、なるほど客観的にはウイポン車は集団の右側を追い越しただけであるけれども、警官隊はそれまでは集団に対しなんらの措置にも出ず、道路上後方をただ追尾していただけであるのに、警察官を荷台に満載したウイポン車だけが、急に高速力で集団の右側を追い越しにかかつたことは、いかにも突如として起した行動であり、これを見た集団員としては、いきなり実力行動に来たのではないかと考えたであろうことも無理からぬものがあり、そこで後述するようにある者はとつさに石や火焔瓶などを投げ、他の者は逃避に走るなど混乱を生じたのであるが、逃避しあるいはそのまま前進したものの方がはるかに多かつたものであり、一部の者の右暴行が「先制攻撃」といつていえないことはないにしても、それはその時の突如として起つた事態に対する各人のとつさの判断に基づく行動であつて、集団員の多数の合同力に基づく先制攻撃であるとはいえないし、その混乱も後述のようにやがて引率者らの指示で再び隊列を整え行進を続けているのであつて、ウイポン車の場面で集団が暴徒化したとは認め難いのである。従つてその後の岸部巡査派出所以後における暴行等がウイポン車の場面での集団による暴行脅迫の余勢をかつて行なわれたものであると評価することはできない。以上の見解のもとに、原判決が産業道路上の各場面での暴行脅迫につき共同意思を認めなかつたことを非難する所論に対し順次検討を加える。

(1)暴行した者の数と範囲

各場面における暴行の実行者の数は、前認定のように原判決が認定したところよりも多少は多いと認められるが、その各場面の暴行の状況全体としては、原判示の状況と大差があるとは認められない。そしてウイポン車に対する火焔瓶等の投擲、転落等した警察官に対する暴行、各派出所の損壊行為などは、それぞれ個々の暴行としては相当乱暴なものであり、各暴行者の態度も執ようといえるものもあるけれども、その暴行者の数が集団員全体からみて多数であるといえないのはもちろんのこと、投石、投棒や火焔瓶等の投擲、各派出所へおもむいての暴行などが、そのいずれの場面においても、集団の先頭から後部にわたり随所から継続的になされたと認めうるような状況ではない。

なお所論は集団員の暴行がいやしくも集団の合同力を背景にした所為である以上、その実行者の多寡は共同意思を左右するものではないというのであるが、「共同して暴行または脅迫をなすの意思を有する多衆が一団となりたる場合」あるいは「集団のうちにおける暴行脅迫への傾き」「群衆的共感状態」が認められる場合には、なるほどその暴行脅迫をなす者が集団の一部であつても、その暴行脅迫は多衆人の合同力によるものであるといえるのであるけれども、本件のようにそれまでの場面での暴行脅迫が集団の共同意思に出たものと認められない場合に、問題の場面の暴行脅迫について「集団のうちにおける暴行脅迫への傾き」「群衆的共感状態」が認められるかどうか、換言すると「集団そのものの暴行脅迫」と評価できるかどうかを検討するに際して、個々の暴行脅迫の実行者の数の多寡をその資料とすることはなんら差支えない。

(2)暴行等の実行者、支援同調者の実人員

産業道路上の各場面での暴行等の実行者は、その場面によつては十数名を越えるところもないではないけれども、これを約九〇〇名の集団員が数列の縦隊で行進している人数と状況から考えると、ごく一部の者が実行行為に出たに過ぎないと評価して誤りではなく、また証拠によるとかなりの者が二個所以上の場で暴行を行なつていると推認しうる。前述のように集団員の一部にはあらかじめいわゆる武器などを準備し、そのうちには積極的な暴行をも意図していたと考えられるごく少数の者がいたこと、各場面での一部の者の実行行為や煽動的言辞はこれらの者らが口火を切つていると思われる節があること、にもかかわらず、各場面とも他の一部には後述のように積極的にこれらを制止する者もあり、その余の多くの者のうちで右の者らの煽動に乗り暴行等の行為に出た者は限られていることその他諸般の状況を総合すると、各場面での暴行者ないし煽動者の主たる者はほぼ限られ、暴行者の実人員は延人員に比し相当少いものと考えられるのであつて、各場面での暴行等が、随時集団員の興奮のおもむくまま、随所から暴行脅迫への雰囲気が発生して他に伝播し、それぞれの者が入れかわり立ちかわり暴行等に出たというような状況であつたとは到底認められない。このことは、けしかけたり、声援したりした者についても同様であると認められる。従つて原判決が暴行者および積極的な支援同調者の実人員が延人員よりも相当少いと判断したことに誤りはない。

なお、支援同調者の数、範囲および具体的態様を共同意思存否の判断の資料として差支えないこと、さきに(1)で述べた暴行等の実行者の多寡を資料となしうるのと同様である。

(3)ウイポン車の場面における集団員の動向

共同意思の存否の判定に当つては、他の諸事実とともに、暴行等の行なわれた時点における集団全体の反応と動向等についても検討を要するのであつて、原判決がウイポン車の場面で相当多数の者が一時隊列を離れて附近の露地や民家の裏などへ逃避したことを認定し共同意思の存在を否定する一事情としたことに誤りがあるとはいえない。もつとも逃避したのは火焔瓶等を投擲した後であると認められる者が全くないわけではないが、逃避した者のほとんどは、さきにも述べたように、突然のウイポン車の接近を知つて、とつさに警官隊の実力行動が始つたものと考え、ただわが身の安全を求めて隊列を離れ、逃避のための行動をとつたものと認められるのであつて、その数が原判示のように少くとも数十名あるいはもつと多数であつたということは、これらの者に警官隊からの実力行使がなされても暴行等に出る意図がなかつたことの徴表として、無視することのできない事実であるといわなければならない。この点をいま少し検討すると、集団の後尾にいた者の中にはウイポン車に投石した者もいるけれども、同じく後尾のとくに中西グループ、山田グループのうちの相当多数の者は逆に逃避行動に出ており、また生野グループとくにその後部附近の者の中には右側を追越しにかかつた同車に火焔瓶等を投擲したり、転落等した警察官らに暴行した者をいるけれども、同グループの前半の者や後半の舎利寺、御幸森の者らの相当多数が、警察官の武力行使をおそれて前方あるいは左方の田圃や民家の裏などへ逃げ込んでいることが明らかであり、さらに生野グループよりも前方の各グループでも多くの者が、同様の気持で前方へなだれたり道路の左側へ寄るなどして逃避態勢をとつていることが認められるのであつて、暴行行為に出た者よりもはるかに多数の者が後部から前部近くにわたつて各自に逃避しもしくに逃避しようとした事実は、一部暴行者に対する支援同調とはおよそ正反対のあるいは少くとも全く無関係の行動であると評価しうべきものである。

ウイポン車の場面でいつたん逃げたけれどもその後の場面で暴行に出ている者も二、三いることは所論のとおりであるけれども、だからといつてこれらの者がウイポン車の場面で暴行者に同調せず背を向けていたという事実を否定することはできない。

従つて、ウイポン車の場面における各暴行は相当熾烈ではあつたけれども、それはごく一部の者の個々の暴行であり、これに同調支援するどころか背を向けて逃避する者の方がはるかに多かつたという点は、この場面の暴行が集団の共同意思に出たものと認め難いとする一つの主要な事情であるといいうるのである。

(4)集団員中の制止行為

積極的に暴行等を制止する言動に出た者は原判決もいうように少数ではあるが、所論のようにきわめて限られた数しかないと断ずることとできない。各巡査派出所等の場面では積極的に言葉で「やめておけ」などと声をかけている者があり、ウイポン車の場面でも原判示のように集団の先頭附近で警察官に対する追跡を制止する者があり、また集団の後半では前記のように隊列が一時混乱した際に、引率者らが「逃げるな」「列を崩すな」と指示してともかく集団員の大多数をまとめて前進を続けさせたことも、右時点における事態がそれ以上に混乱することを防止するのに効果があつたと認められ、さらには産業道路上を通じ、個々の暴行が行なわれても、集団全体としては前進を続けていたこと自体も、集団員の無責任な軽挙を防止する上に効果がなかつたとはいえない。従つて以上のような直接的な制止行為およびその他の措置をもつて、集団全体の合同力の形成阻止に影響がなかつたということはできない。

(5)一部の暴行等と集団の行進継続

一般的には集団示威行進の形態をとつているという外形事実と、集団の一部の暴行等を認容しその合同力に加わるということは、全く相容れないことであるとはいえないことは所論のとおりであろうが、だからといつて右両者が直ちに結びつくわけのものでもない。集団示威行進に藉口して多衆が合同して暴行脅迫に出るがごときはもちろん許されないところであるけれども、集団員の大多数が暴行脅迫を目的として結集したものではなく、しかも現実の動向においても集団全体が暴行脅迫への傾きを示したと認められない場合にまで、一部の者の暴行等が直ちに集団の合同力によるものであるということはできない。

そして証拠によると、本件集団は吹田操車場を出て以来、おおむね隊列を維持して行進しており、前示(一)ないし(六)の各場面で一部の者が暴行等の行為に出、ウイポン車の場面ではこれと別に相当多数の者が一時逃避したことがあるけれども、その間も集団は全体として停止することなく、各所属グループの隊列から離れた右暴行者らを置き去りにして前進し、あるときは行進しつつ暴行者を制止し、ウイポン車の場面ではおそれて逃避した者を隊列に復帰させる措置をして、集団全体としては戦争反対、再軍備反対などと訴える行動を中心に国鉄吹田駅に至つていることが認められる。この本件集団の動向はむしろ一部の暴行等の行為と相容れないものと考えられ、集団中の大多数の者が、自分たちが集団の力のもとに暴行脅迫しているのだというような意識をもつていたとは認め難いとする一つの証左と考えられる。

(6)暴行等の目撃察知と加担意思

所論は本件集団員は単に暴行等を目撃察知しただけでなく、少くともこれを認容して集団行動を共にしていたものであるというのであるが、その根拠は、本件集団のここに至るまでの行動経過ならびに集団員の認識状況に徴し明らかであるというにあるところ、これについては前示のとおり、右検察官の所論は集団の大多数の者にあらかじめ集団の合同力による暴行脅迫をなす意思が存在することを前提とするもので、しかるが故に一部の者の暴行等が行なわれた場合に、これを目撃察知しつつ集団行動を続けることは、すなわち右暴行等を認容するものであり、騒擾行為に加担する意思があつたというに帰し、かかる所論はその前提を欠くもので採るを得ない。前示(一)ないし(六)の各場面で一部の者の暴行等を他の集団員がこれを目撃、現認ないしは察知して集団行動を共にしたというだけでは、右一部の暴行等に同意を表しその合同力に加わる意思があつたとするわけにはいかない。一部の者の暴行等をもつて集団の合同力に基づく暴行等であるといいうるためには、暴行等に出ない大多数の者が、右一部の暴行等を単に認識したというだけでなく、自分たちが集団の力のもとに暴行等をしているのだという意識のもとに行動したと認められる場合であることを要するのであつて、右大多数の者が、一部の暴行等を積極的に排斥しないときでも、自分らとは無関係の出来事であるとして放置し去つてかえりみない場合は、たとえ右一部の行為者が集団の合同力をたのむつもりで暴行等に出たとしても、それはその者が一方的にそのように考えたのにすぎず、右暴行等について大多数の者の同意、加担を得ていないのであるから、そこに騒擾行為の成立を認めることはできないのである。そして産業道路上の前示(一)ないし(六)のいづれの場面について検討しても、すでに説示した各暴行脅迫の規模、態様と、これに対する集団員の反応と動向、集団員の意識ないし意思その他諸般の状況を総合して考察すると、一部の者の暴行等に対しその余の大多数の者が同意を表わしその合同力に加わる意思があつたと認めることは困難である。

以上原判決が産業道路上における各場面の暴行脅迫が集団の共同意思に出たものとは認められない理由としたところを中心に、これを攻撃する所論について判断したのであるが、右に説示したところのほか、さらに記録全般にわたつて右場面についての諸般の事情を精査検討してみても、右(一)ないし(六)の各場面の暴行脅迫が集団の共同意思に出たものと認めなかつた原判決の判断に誤りがあるとはいうことができない。

六国鉄吹田駅における状況

(一)集団員が行なつた暴行脅迫

この点については、原判決が認定している事実のほか、吹田駅前南側道路上で待機中の警察官に対し、停車中の列車の二両目くらいのところから集団員が火焔瓶一本と、発車し始めた列車の三、四両目あたりの集団員が火焔瓶らしいものなど計四本を投げ、警察官らの近くの路上に落下し発火または割れたことを認むべきであるが、その余の所論の主張する事実を認めなかつた原判決の判断に誤りがあるとはいえない。

(二)警察官の検挙行動

原判示の岩村ら三警察官が列車の後部デッキに入つた際にはいまだ拳銃を構えていたとは認め難いことは所論のいうとおりである。森川巡査の拳銃発射が自衛のための措置であると認めなかつた原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

(三)共同意思

吹田駅における一部の集団員の暴行が集団の共同意思に出たものと認められないとした原判決の判断に誤りはない。そして原判決は同駅での警察官らの検挙行為が違法なものであると断じているわけではなく、集団員の暴行が防衛的なものであるとも、しかるが故に是認しうる行為であるとも判断しているわけでないことはその判文上明白である。原判決が集団員らが乗車したときには集団行動は終つていたと判示しているのは、原判示の朝鮮戦争に反対し吹田操車場の軍需輸送に対する抗議のための集団行動は終つていたという趣旨であると解され、帰途のための各グループの団体行動まで否定したものとは考えられない。証拠によると、集団員は吹田駅に至つて、一部は別行動をとり、一部はいわゆる武器を捨てるなどしたうえ、多数のものは大阪まで帰るべく、各グループの引率者の指示で列車に分乗し、列車内で折から通勤時の一般乗客と入り混つて発車を待つていたところへ、突然いつせい検挙が始つたので、列車内、ホーム上とも、警察官、集団員、一般乗客が入り乱れての騒ぎになつたのであるけれども、ここでは集団員も一般乗客も各人各様にその場の混乱に対処するのに精一杯であつたと認められ、なかには警察官に対して暴行を加えた者もあるけれども、それとも少数の者にすぎず、集団員が打つて一丸となつて暴行したといえないのはもちろん、集団員の大多数が他の少数の集団員の暴行に同調支援する行動に出たとも認められない。

(七)静謐阻害の状況

所論は、原判決は「産業道路上における一連の暴行は、一見暴従的様相を呈し、付近の人心にも少なからぬ不安と動揺を与えたことがうかがわれ」と判示して産業道路上における集団員の暴行等が公共の平穏をみだしたことを肯定しており、その他の場面については触れるところがないが、右各場面においても付近住民等に相当の恐怖を与え公共の平穏をみだしたことが明らかであるというのである。

騒擾罪にいう暴行脅迫は一地方における公共の平和、静謐を害するに足りる程度のものであることを要するのであるが、この点については結局個々の事案に則し、暴行脅迫を行なつた人数、態様と右暴行脅迫時における諸般の状況等から判断をなすべく、右暴行等の行為の面を離れて、社会に生じた実際の危険の存否を認定することは、それが規範的な判断であるところからして極めて困難であつて、所論が挙示する程度のごく少数の目撃者などの証言だけから、直ちに公共の平和を侵害しあるいは侵害する危険が生じたと認定しうる性質のものではない。原判決が付近の人心にも少なからぬ不安と動揺を与えたことがうかがわれると判示している部分は、その措辞が簡に過ぎ、かつ妥当でないけれども、その証拠として挙示しているのは少数の目撃者らの証言であり、これによつてみると右判示の趣旨は、右暴行等を見た付近の人の中には不安感を抱いた者もあるという一情況を述べたに止まると解せられるのであつて、右判示部分をもつて所論が解するように公共の平穏をみだしたことを肯定したものであるとは考えられない。

本件においては、集団の全体に非合理的、破壊的な行動を是認する雰囲気がみなぎつていたといえる程度にまで群衆意識の高まりがあつたとは認められないという意味において「公共の平和をみだす抽象的危険」を認定することはできないのである。そして原判決が一方で集団の共同意思を否定しながら、他方で集団が公共の平和をみだす抽象的危険の程度に達したという判断を示したものでないことは、前説示のほか、原判決全文を精読すれば明らかである。

第三補説

本件当時すなわち昭和二七年六月頃は、平和条約発効直後であつたが、敗戦の被害は社会的にも経済的にもいまだ十分回復せず、他方では昭和二五年六月に勃発したいわゆる朝鮮戦争がなお終焉にいたらず、このような情勢下にあつて世上の一部では過激な実力行動の風潮があつたことことを忘れてはならないし、また一部の者の対警武器の製造使用が喧伝されていた時代であつたことも世人の記憶から消えてはいない。本件における証拠をみても、一部にはかかる動きを示した者がごく少数ながら存在する。すでに述べたように、民愛青生野グループ、民青グループなどの一部における火焔瓶、硫酸瓶や、パンク板、先のとがつた鉄片など実戦的な対警用具をひそかに製造し待兼山集会に搬入した少数の者らがこれである。これら少数の者らは待兼山集会以後神社前に至るまでの間に、自分らの属するグループの者らにこれを分配しその使用法を教えるなどしていること、および前示各暴行等の場面における動向などからみて、いつたん事が起つた際には、あるいはなんらかの機会があれば、自分らだけがこれを使用するに止まらず、他の者にも使用させて一般集団員の雰囲気を高調させようと企図していたものと推認するに難くない。しかし、これらのごく少数の者の計画は、学生、労働者、朝鮮人、など種々雑多のそして生活環境などを異にする者の一時的な集りにすぎない本件集団の大多数を動かすにいたらず、すでに各場面でみたように一部実行者のはね上り行為に終つたのである。

集団行動に伴う危険性は現代社会においても無視できないことはすでに述べたところであるけれども、しかし集団行動に伴う暴力を処罰するには、法が犯罪として定める要件を証拠によつて証明しなければならない。検察官は原判決が本件集団行動の全般的考察を怠り、各場面における暴行脅迫の規模態様を過少評価し、共同意思を不当に狭く解釈して判断を誤つたと主張するけれども、その実際はすでに説示したとおりであつて、これによるとむしろ検察官の所論は証拠を過大評価し、群集心理の法則を強調するあまり、共同意思に関し安易な評価を求めるものであるといわざるを得ない。

もとより、当裁判所は決して暴力を伴う集団行動を正当視するものではない。わが憲法の下において表現の自由の名のもとに他人の人権を侵すことは許されず、とくに暴力の行使は絶対許されない。かかる暴力の行使は当然処罰を免れないのである。ただ集団行動に伴う暴力の行使が騒擾罪となるか、暴力行為等処罰に関する法律違反の罪となるか、あるいは刑法上の暴行罪等になるかはその具体的事実関係によつて異る。本件では騒擾罪の成立は否定されたが、具体的暴行等について証明のあつたものはそれそれ処罰されているのである。

ところが、本件では公訴事実にみられる個々の行為のうち、火焔瓶等の投擲、拳銃の強取その他重大と思われる事実につき、これを特定個人の訴因として揚げられていないものがかなりあり(証拠によつても明らかでない)、このため個々の犯罪行為として認定された事実はさして多くない。しかしながら、個々の行為者が不明であるから一括して騒擾として処罰すべしと安易に主張することは法律の否定である。事案が重大であるからといつて証拠法則をゆるめて適用したり、安易な事実認定をしたりすることは法律の許さないところである。

このようにして、当裁判所は刑訴法に従い刑法一〇六条に照らし、原判決の判断の当否を慎重に検討したところ、原判決が本件の各場面における暴行脅迫が集団そのものの暴行脅迫であることの証明がないとして騒擾罪の成立を否定したことに誤りがあるとはいえないとの結論に達したのである。この点の論旨は理由がない。

第三節各被告人の行動(控訴趣旨第五点)

論旨は、本件騒擾の公訴事実が成立することを前提とし各被告人の行動がその首魁、指揮、率先助勢に該当することを主張するものであるが、前叙のように騒攪罪の成立は認められないので、原判決が各被告人ごとにその訴因にかかげられた具体的事実が暴行などとして有罪としたもののほかに、有罪と認めるべきものがあるかについて所論に従い順次検討したが、原判決が認定した事実のほかに、さらにに有罪とすべきものはどの被告人についても認められないので、この点の論旨も結局は理由がないに帰する。

第四節威力業務妨害罪の成否

論旨は、要するに、原判決が被告人らの集団の吹田操車場構内における行動の実態は、朝鮮戦争に反対し吹田操車場の軍需輸送に対する抗議のための集団示威行進であるとし、軍需列車の襲撃ないし破壊の企図があつたことの証明がないとの理由で、このような表現の自由に属する示威行進そのものをもつて直ちに威力業務妨害罪における不当な勢威一般に当るものとはいい難く、同罪はその証明なきに帰するとしたのは誤りであるというのである。

原判決は本件威力業務妨害の関係ではその一〇一頁で、一、約九〇〇名の本件集団が吹田操車場構内の約一五〇〇メートルの間を労働歌を高唱し、場内の職員に対し「軍需物資を送るな」などと呼びかけたり、スローガンを叫んだりしながら約二五分間行進したこと、二、その間暴行と認められるものは第三信号所に対する二、三名の投石、投棒による同所の窓ガラス一枚の破壊のみであること、三、操車場側としては佐藤駅長のあらかじめの指示にもとづき、集団に対する万一の危険をおもんぱかつて、上り坂阜、下り坂阜を通じて約二〇分間列車の仕訳作業を中止したことを認定している(その他五四頁では、なお、場内において一部のものが軍需列車を探し、「佐藤駅長を出せ」などと叫んだと判示している)に止まるところからみると、具体的事実関係としては、右判示認定の事実と軍需列車の襲撃ないし破壊の企図のあつたことの証明がないとの事実だけを前提として、威力業務妨害罪の証明がないとしているようである。

しかしながら、威力業務妨害罪の成否については、犯人の威勢人数および四囲の情勢など諸般の状況を検討する必要がある。よつて所論にかんがみ、本件被告人らの集団の威勢、吹田操車場の施設や作業内容、集団の構内通過の状況およびこれに伴う構内への影響などについて、原審および当審で取り調べた証拠を精査して検討するとつぎのような事実が認められる。

まず本件集団はすでに述べたように、被告人らを含む約九〇〇名で構成され、その半数近くの者が竹槍、竹、棒などを持ち隊列を組んで行進して来たものであり、その行動目的は吹田操車場内に入つて同操車場の軍需輸送に対する抗議のための集団による示威を行うにあつて、待兼山集会以後右操車場にいたるまでの集団の行動経過とその間の集団員の動向からすると、客観的にも集団行動の目的が右のようなものであると判断しうるものであることが認められる。

そしていわゆる吹田操車場構内は国鉄の施設に属し、その一帯の鉄道敷地内には吹田操車場および国鉄岸辺駅が併存し、敷地南東側にある右岸辺駅を東海道本線が通つており、それ以外は操車場の施設であつて軌条が敷地一帯に無数に敷かれてあり、東海道線を上下する貨車の分解、仕訳、編成、機関車の取替えなどが行われ、その取扱車両数は全国操車場のうち最大で、右敷地内はほとんど昼夜を分たず、列車の運行、貨車の転送などが絶えることなく、その業務の性質上時間の正確性と安全はなににもまして重要であること、また同操車場では駐留軍の貨物輸送のための貨物列車の運行ダイヤも組まれていて、同列車に関する作業も行われていたことなどが認められ、右吹田操車場はその敷地全部が鉄道営業法三七条により一般人の立入りを禁止されているものである。

つぎに、被告人らの集団は右岸辺駅南東側の道路を北東から南西に進み、午前六時一八分ごろ、同駅ホーム南西端から約三四メートル南西の地点の道路と鉄道敷地との間の柵の切れ目から、手に手に前示の竹や棒を携え、喚声をあげて構内に侵入し、そのまま北西に向かつて東海道上下線その他の軌条を次々に渡つて第一〇信号所の西側を通り、さらに上り坂阜方向別線を三七番線から二一番線まで十数本を順次横断したうえ、進路を北東に変え、軌条に沿つて上り坂阜方向別線中央線別詰付近を経て同坂阜頂上の運転掛室前に達し、さらに上り押上線に入つて同線九番線と一〇番線との間を進み、第四信号所北西側付近より同線九番線から五番線までを順次斜左に横切つて第三信号所の南東側を通り、次いで上り到着線一番線と二番線の間を進み、やがて坪井ガード北西端付近から全員が構外に退去したが、侵入から退出までの時間は原判示のように約二五分間に及んでいること、この間集団員はこもごも原判示のように労働歌を高唱したり「戦争反対」「軍需物資を送るな」「佐藤駅長を出せ」などと叫んだほか、「アメ公の奴隷になるな」「ポリ公を出せ」などと叫んだりしたこと、途中集団の先頭が上り坂阜頂上付近(侵入個所から五〇〇メートル足らず)にさしかかつたころ、後述のように場内の拡声機による退去要求の放送がくりかえされ、同所付近から北西に向つて進めば容易に構外へ退去できるのに、右退去要求を無視して前示のようにあえて構内示威行動を続けたものであることが認められる。

一方吹田操車場当局では、前夜半ごろ、待兼山を出発した集団が同操車場を襲うおそれがあるとの情報を受け、佐藤駅長の指示によつて当時同操車場内にあつた駐留軍用貨車約三〇両の隠蔽および早朝発車の手配をとり、また前夜からの手配で職員による警備班の編成、鉄道公安官の配置増員が行われ、早朝からは三島地区の国警隊員の警備も加つたものであること、このような態勢にあつたところへ前示のように岸辺駅の南西方から集団が侵入したので、その直後同駅長の指示によつて非常サイレンを吹鳴し従業中の職員に緊急事態の発生を知らせたこと、当時貨車の仕訳をしていた上り坂阜においては間もなく貨車の転送作業を中止し、下り坂阜においても集団侵入当時しばらくは貨車の転送を続けていたが、集団が次第に下り坂阜の方向に接近してくる様子を見て作業を中止したこと、右作業中止については、当局側であらかじめ検討の結果、同操車場内では多数の貨車が各所で移動する作業が行われているため、外来者にとつては非常に危険であつて、多数の人間が入つてくればけが人が出るおそれが多分にあり、もし作業を続けたためけが人を出せばいかなる紛糾が生じるやも知れないということから、佐藤駅長は集団が入つてくれば直接作業は不可能であると判断し、前もつて職員に対して本件集団が構内に侵入した場合には作業を中止して警備態勢に移るよう指示していたものであること、集団の先頭が上り坂阜頂上付近にさしかかるころ、当局側は下り坂阜運転掛室備付けの拡声機により、集団員に対し「鉄道部外の方は場内から立ち去つて下さい」「作業中だから危険であります」「鉄道構内立入は法律で禁止されております」などとくり返し放送してその退去を要求したものであること、集団員の構内侵入および示威行動により結局原判示のように約二〇分間貨車の仕訳等の作業が中断され作業完了に相当の遅延を招いたものであることが認められる。

以上の諸般の状況を総合すると、本件被告人ら集団員の吹田操車場構内への侵入および構内における行動は、客観的にみて佐藤駅長以下国鉄職員の業務遂行の自由意思を制圧するに足るもので、まさに刑法二三四条の「威力を用い」た場合に該当し、これによつて右国鉄の業務の執行ないし経営を阻害するおそれのある状態を発生させたというに止まらず、現実に業務の妨害の結果をも生ぜしめたものといわざるを得ないのであつて、原判決のように、集団示威行進そのものをもつて不当な勢威一般に当るとはいい難いとし、前示の犯人の威勢、四囲の情勢その他諸般の状況を看過して、直ちに犯罪の証明がないとしたことは明らかに不合理である。

弁護人らは、操車場当局は集団員に対する危険をおもんばかつて自発的に命令して作業を中止させたものであり、集団員の行進とは直接の因果関係はないというが、前認定の事実によると、多数の集団員が竹や棒をもつて作業中の線路を横断しあるいは軌条と軌条の間を通行しているところへ転送中の貨車などを走行させることはきわめて危険であつて、健全な社会通念をもつてすればかかる状況のもとで転送作業等を行うことは事実上不可能もしくは著るしく困難であるというほかなく、佐藤駅長の措置もまことにやむを得ないところであつたと認められ、結局、前示のような集団員が構内を行動しては、国鉄の業務遂行はこれをなしたくともなし得ないものというほかないから、被告人らの行動は客観的に国鉄側の業務遂行の自由意思を制圧するものというべく、本件の作業中止が集団の行進と直接関係がないとは到底いうことができない。

次に弁護人らは、右操車場内の集団の行進はその行為態様の実際からみて、まさしく表現の自由に属する正当な権利の行使であるというのであるけれども、憲法二一条一項は集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由を保障しているが、表現の自由の行使に当つて他人の権利を侵害しうることを保障するものではない。

集団示威運動は表現の自由の範囲内で憲法の保障を受けているのであつて、これを忘れて集団示威運動が一定の威力、示威を行うのは当然であるから、威力、示威を示すことはすべて正当な権利行使であつて犯罪を構成しないというような論理を構成することはできないのである。そして「営業」も現代社会においては一つの権利として法律上の保護を受けているもので、刑法は業務の妨害行為を犯罪としているのであるから、かかる犯罪行為は表現の自由に属しないのである。労資間における団体行動に関する争議行為と威力業務妨害との関係についての所論は、右表現の自由の場合と全く別の法理に基づくものであり、これを表現の自由の行使にあてはめることはできない。

民主社会における表現の自由の行使としての集団示威行動は、多数派に対して少数派がその思想主張等を社会一般の関心に訴える手段として価値を有し、民主々義政治の一つの重要な支柱として高い評価を受くべきものであるけれども、集団示威行動の価値をいかに高く評価するにしても、他人の権利を侵害する権利を認めることができないこともまた明らかである。従つて、前示のような本件被告人ら集団員の吹田操車場構内への侵入および同構内での行動が正当な権利の行使であつて威力業務妨害に当らないということはできない。

さらに弁護人は、憲法秩序からみて本件集団示威行動は実質的違法性もしくは可罰的違法性を欠くものであると主張するが、交通機関わけても国鉄客貨車の運行の正確と安全は現代における社会生活の中枢であり、これなくしてわれわれの生活の平和と安定はないといつても過言ではないのであつて、集団示威行動のためにその交通の業務運営を阻害することは社会的影響が大きく、本件のように多数の者が竹や棒をもつて国鉄の重要部門である吹田操車場の業務を前示のような手段方法で二〇分間にもわたつて妨害した被告人らの具体的行動は、たとえ集団示威のためであつても、実質的違法性を欠くとかあるいは可罰的違法性を欠くとして犯罪にならないというわけにはいかない。

そして証拠によると、本件被告人らのうち被告人佐藤仲利を除くその余の四六名については、右集団の一員として他の集団員らと前示威力業務妨害行為の実行を共同にしたもので、いずれも右業務の遂行を阻害することについての認識を有していたものと認められるから、原判決が被告人佐藤仲利を除くその余の本件被告人四六名に対し、本件威力業務妨害罪につきその証明がないとしたことは事実を誤認したもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。右被告人四六名に関するこの点の論旨は理由がある。

しかし被告人佐藤仲利については、本件全証拠を精査しても、同被告人が右集団の一員として前示威力業務妨害行為を共同にしたものであることを認め得ないから、原判決が同被告人につき同罪の証明がないとしたことに結局は誤りがないことに帰する。従つて佐藤被告人に関するこの点の論旨は理由がない。

第五章弁護人らの控訴趣意について

第一審判の請求を受けない事件について判決した違法の論旨について

論旨は、原判決が李樹寛ほか五名に対する各騒擾の訴因について、その訴因変更の手続を経ることなくして、暴力行為等処罰に関する法律違反の事実を認定したのは、審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるというのであるけれども、被告人呉泰順、同白光玉については、起訴状の訴因中にいずれも「外数名と共同して」各損壊行為をした旨記載されてあつて、所論も原判決の措置を是認する被告人韓東らの場合となんら変りはないから、右両名についての所論は前提を欠くもので当らない。しかし被告人李樹寛、同金熙玉、同木沢恒夫、同出上桃隆の各起訴状には右のような文言の記載がなく、また訴因の変更も追加もなされていないことは所論のとおりであるけれども、元来騒擾罪は多衆聚合して暴行脅迫することを構成要件とするもので、講学上合同的な必要的共犯と呼ばれているように、その性質上単独犯ではないこと、右被告人らに対する起訴状によると、被告人四名はいずれも各騒擾現場で、集団の一員として、しかも多衆にぬきんでて、各巡査派出所に対する損壊行為に加わり、それぞれの損壊や暴行の行為をして、騒擾の勢を助長した旨が記載されてあり、右訴因の記載をみても、所論のような単独の器物損壊や単なる建物への暴行の記載に止まるものではない。そして本件の騒擾罪における共同暴行、共同損壊を、原判決認定の暴力行為等処罰に関する法律違反の罪のそれに認定するについて、防禦方法にとくに著るしい差異があるとは考えられず、また刑事責任が増大するわけでもないうえ、原審における審理状況を検討しても、被告人らの防禦権の行使に実質的不利益を与えたものとは認め難い。以上を総合すると、原裁判所が、形式的には訴因の変更追加の手続を経なかつたとしても、その実質において刑訴法三七八条三号にいう審判の請求を受けない事件について判決をした場合に当るとはいい難いのである。従つて論旨はいずれも理由がない。

第二事実誤認、法令の適用違背、理由不備の論旨について

所論に基づき記録を検討しても、原判決に所論がいうような違法の点はなく、論旨はいずれも理由がない。

第六章結論

以上のとおりであつて、被告人佐藤仲利に関しては検察官の控訴趣意はすべて理由がないから、同被告人に関する控訴は刑訴法三九六条によりこれを棄却することとする。

その余の被告人四六名に関しては、検察官の控訴趣意中威力業務妨害の事実誤認の論旨は理由があり、その他の論旨はすべて理由がなく、被告人らのための弁護人の控訴趣意(ただし量刑不当の論旨を除く)はすべて理由がないから、右被告人四六名については、うち一部被告人に関する弁護人の量刑不当の論旨を省略し、原判決中威力業務妨害の点を無罪とした部分を破棄すべきものであるところ、検察官控訴および被告人控訴によつて当審に係属している一部被告人の他の有罪部分と、その被告人らの右威力業務妨害罪とは一個の裁判により同時に処断されるべきものであるので、右被告人四六名に関しては、同法三九七条、三八二条により、主文第二項のとおり破棄し、本件は記録ならびに原審および当審で取り調べた証拠によつて直ちに判決することができるものと認められるから、同法四〇〇条但書によりさらに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人ら四六名(被告人佐藤仲利を除いた全員をいう)に対する罪となるべき事実は、原判決が確定したその第一部第五章(原判決一〇二頁以下)に記載の被告人韓東燮、同康文圭、同高元乗、同李樹寛、同金好允、同金熙玉、同呉泰順、同任鉄根、同白光玉、同木沢恒夫、同出上桃隆に対する各事実、および、同じく第二部二(同一〇九頁以下)に記載の被告人夫子浩、同白光玉に対する各事実のほか、右被告人四六名につき次のとおりである。

右被告人ら四六名は、昭和二七年六月二五日、そのころ大阪府吹田市所在の国鉄吹田操車場では朝鮮戦争向け軍需物資輸送の貨物列車の作業が行われていたので、同操車場内において、朝鮮戦争に反対し同操車場の軍需輸送に集団で抗議する目的をもつて、同日午前六時一八分ごろ、約九〇〇名近くの者らと共同して、被告人三帰省吾、同夫徳秀の指示のもとに、同操車場南西側敷地内にある国鉄岸辺駅ホームの南西端から三〇メートル余り南西付近の木柵の切れ目から、全集団員の約半数近くの者が手に手に竹、竹槍、棒などを携え、喚声をあげて右操車場構内になだれ込み、同操車場構内には交錯する多数の軌条が敷かれていて正確と安全を要する列車の運行、貨物列車の分解編成などの作業が行われているため右のような多数人が構内に立ち入つてはその業務の遂行を期し得ないのに、同構内において、長さ約三〇〇メートルの縦隊をなして輻輳する構内客貨車線路を次々と横断し、第一〇信号所付近を経て上り坂阜に向い、集団の先頭が上り方向別線中央線別詰所付近にさしかかつたころ、先頭にいた被告人夫徳秀が近くにある有蓋貨車の車票を調べたり、無蓋貨車の車輪スプリング上に飛び上つて内部をのぞき込み、あるいは同詰所前にいた鉄道職員に軍需用列車の所在を尋ねたりしたが、その間、被告人ら集団員は労働歌を高唱したり、こもごも「戦争反対」「軍需物資を送るな」「アメ公の奴隸になるな」など叫びながら北東に向つて進み、その先頭が上り坂阜頂上付近(侵入個所から五〇〇メートル足らず)にさしかかつたころ、同操車場当局が下り坂阜運転掛室備付けの拡声機により、集団員全員に対し「鉄道部外の方は場内から立ち去つて下さい」「作業中だから危険です」「鉄道構内立入りは法律で禁止されております」などと繰り返し放送してその退去を要求したのにかかわらず、これを無視して上り押上線の線路と線路の間に踏み入つて前進を継続し、一部の者は「人民の操車場ではないか、入つて何が悪い」「佐藤駅長を出せ」などと言い返すなどしたうえ、第三信号所付近を経てさらに北東進して、同日午前六時四三分ごろ、坪井ガード付近から同操車場外に退去するまで、その構内約一、五〇〇メートルの間を約二五分間にわたり、前記のように竹や棒を携え歌や叫び声で気勢をあげるなどしてねり歩き、ほしいままに勢威を示して行動し、このため同操車場をして上り坂阜下り坂阜における各貨車転送等の操車作業などを約二〇分間にわたつて中断するの止むなきに至らしめ、もつて威力を用いて国鉄吹田操車場の業務を妨害したものである。

(証拠の標目)

以下省略(杉田亮造 野間礼二 西村清治)

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